中日の49歳投手、山本昌が最年長勝利の日本記録を作った。
2014年9月5日の阪神戦。近頃の投げ過ぎ論争を黙らせるような快挙で、若い投手は愚痴をこぼせなくなった感じだ。
「権藤、権藤、雨、権藤」をもうならせる
「オバケだ」
山本の勝利をこう表現したといわれるのが中日の先輩でもある権藤博氏。投手権藤といえば最初の2年間で65勝を挙げ、その過酷な登板は「権藤、権藤、雨、権藤」とたとえられた御仁で、その男が目を丸くしたのである。
今季の山本はずっと二軍で調整。阪神戦の勝利は、これまでの最年長記録である浜崎真二の48歳4か月を8か月も更新したことになる。
「49歳になって90球投げるんだよ。すごいよ。若い投手にはピンとこない出来事だろうな」
谷繁捕手兼監督のコメントである。先発して5イニングを投げ、5安打されたものの、ピンチをすべてかわし、無失点で切り抜けた。同じイニングを投げた同じ左腕の阪神能見は6安打4失点で敗戦投手となり、あまりにも対照的だった。
山本はあくまでも謙虚だった。
「苦労したけれど、勝ててほんとうによかった。幸せな野球選手です」
一生懸命に投げる、しつこく投げる、諦めずに投げる――山本のモットーがよく現れていたピッチングだった。
全球団合同で体験談を聞いた方がいい
山本は1984年、神奈川の日大藤沢高からドラフト5位で中日入り。無名。一軍初登板は86年で1試合のみ。以後は「いつクビになるか、と思いながら過ごしていた」と語っていたことがある。
成長したきっかけはドジャースへの野球留学。そこで「上から投げろ」「低く投げろ」「ボールは前で離せ」の基本を学び、これが投球の土台になった。そこから主力にのし上がっていくのだが、それを支えたのは練習に次ぐ練習。とりわけ走り込みは徹底的にやった。体の強さ、下半身の強さが保たれているのはそのたまものだ、と山本は自負する。
現在、投手の投球数や登板間隔が問題になっている。20代の投手がすぐヒジを手術するほどだ。日本人大リーガーも松坂が手術したし、田中はヒジ痛に苦しみ、ダルビッシュも腕の異変を訴えた。
高校野球でも投げすぎ、との論争がある。
そんなときの山本の力投だ。30年目を迎えても投げている。ストレートも140キロ台が出る。得意のスクリューボールが健在だ。
投手たちは、このオフ、山本先生に話を聞いたらどうだろう。考え方、練習方法、健康管理など。全球団が合同で講座を設置してでも体験談を聞いた方がいい。今後のプロ野球にいい影響をもたらすことは間違いないのだから。プロ野球界はこれほどの財産を持っていると考えるべきである。
(敬称略 スポーツジャーナリスト・菅谷 齊)