2012年の尖閣諸島の「国有化」が原因で中国の対日感情は急速に悪化し、中国に進出した日本企業が焼き打ちにあうなどビジネス面でも大きな影響を受けた。
日中関係は、政治が冷え込んだ時でもビジネスは活発な「政冷経熱」だったはずだ。この「政冷経熱」を維持するにはどうすればいいのか。日中ビジネスの今後についてキヤノングローバル戦略研究所(CIGS)の瀬口清之研究主幹に聞いた。
11年から12年にかけて対中投資が急増
―― 2010年の漁船衝突事件や12年9月の尖閣諸島「国有化」で、日中関係は急速に悪化しています。「言論NPO」が13年夏に行った世論調査では、日中ともに相手に「良くない印象」を持つ人の割合が9割を超えています。ビジネスにも影響が出ているのでしょうか。
瀬口: 外国からの対中直接投資額をみると、2000年から05年は増加傾向でした。中国の労働力が安かったからです。その後、中国が人民元を切り上げたり労賃が上がったりしたため、不動産価格が上がって中国の生産コストが急激に上昇しました。そこで05年以降外国企業は「チャイナプラスワン」(ASEAN諸国など)に逃げて行った。ところが10年には日本勢が「中国には安い労働力はないが、豊富な購買力がある」ことに気付き、11年頃から猛烈に対中投資を増やしています。10年から12年にかけて、台湾、韓国、米国はほぼ横ばいなのに対して、日本の伸びが際立っています。額で言えば10年に約40億ドルだった投資額が11年に60億ドル強、12年に約75億ドル、といった具合です。
―― 日本と他国の違いはどこにあるのでしょうか。
瀬口: ドイツは投資額では日本の3分の1ですが、金額の推移は日本と同様です。両国に共通しているのは、世界でトップランクの技術力を持っているということ。この技術が中国で必要とされています。中国の中央政府と地方政府は、日本とドイツに関してはとくに積極的な誘致活動を続けています。これが高い伸びにつながっています。では、技術を持っている日本が中国で何故伸びているのか。日本企業は安いものは作れません。中産階級よりも所得が高い人がターゲットです。経験的に「1人当たりのGDPが1万ドルを超えないと、日本製品を買ってくれない」ということが知られています。1人あたりのGDPが1万ドルを超える都市の人口を足していくと、10年には1億人、13年には3億人、20年には7~8億人。中国の経済規模(GDP)は10年にほぼ日本に追い付いて、14年には日本の2倍。20年にはほぼ3倍になる見通しです。国の経済規模は10年間で3倍になりますが、その間に日本にとっての潜在顧客は7~8倍に増えるわけです。中国の人口は13億人しかいないので、この10年のようなチャンスは二度と来ません。日本の企業向けの市場が急速に拡大しているため、投資を増やしているわけです。
大震災きっかけに「日本を見直さなければならない」
―― 投資が伸びた2011年のわずか1年前には、漁船衝突事件がありました。それでも日本は投資額を増やし続けたわけですが、12年の尖閣国有化では日本製品に対する不買運動も起きました。これは中国政府の嫌がらせなのでしょうか。以前と状況は変わったのでしょうか。
瀬口: 確かに2010年には漁船が衝突しましたし、レアアースの輸出規制問題、日本の会社員の身柄が拘束される問題も起き、通関でも嫌がらせをされました。当時の中国からすれば「日本は大した国じゃない。20年間経済は停滞しているし、米国だけ相手にしていればいい」と、やりたい放題でした。翌11年3月の東日本大震災が、その認識を大きく変えることになります。震災で世界中の工場の操業が止まったことで、「日本はバブル崩壊と共にすでに死んだ国かと思っていたが、実は全世界の部品は日本が供給していた」と思い知らされることなったわけです。そこで「日本を見直さなければならない」となった。しかも、11年の各国別の対中投資額を見ると日本がダントツに多いので、「日本はすごい国じゃないか」と認識を改めることになりました。
08年~10年はリーマンショックの影響で欧米諸国は深刻な停滞に陥りましたが、日本は比較的回復が早かった。そこで「日本は大切にしないといけない」と思い始めた矢先に起きたのが尖閣国有化でした。直後の9~11月の3か月間は、日本に対して相当激しい嫌がらせがありました。ところが12月になると、自動車や日本向けの旅行をのぞくと、通関の嫌がらせも特に厳しいものはなかったし、政府による制裁のような行為は見当たりませんでした。
現地の日本企業にとっては、経済環境はどんどん良くなっている
中央、地方政府が意図的に行う嫌がらせは10年と比べても多くはありません。反日感情が高まったので国民が自発的に不買運動を展開したり、車を焼いたりする行為もありましたが、それもほぼ3か月で収まりました。 13年には対中投資額が大きく落ちました。統計にはタイムラグがあるので14年も下降気味に見えますが、実際は13年秋以降回復していると言えます。
―― 13年末には安倍晋三首相が靖国神社を参拝し、中国政府が激しく反発しました。
瀬口: 日本企業が12年の尖閣の時に投資を止めたことは分かっていましたから、中国側は「投資が止まったら大変だ」という問題意識を持っています。日本企業に何とか中国への積極的な投資を続けてもらうために、「日本企業を守れ」という指令が出ました。デモは規制され、経済制裁もまったくなし。日本企業への被害はほぼゼロでした。政治関係がこれだけ悪化しているにもかかわらず、現地の日本企業にとっては、経済環境はどんどん良くなっています。これが政治と経済の大きなギャップです。12年は政治が悪くなると経済も悪くなりましたが、14年は政治が悪くなっても経済は悪くならない。「政経分離」の状態に近づいています。
―― 中国は、なぜ日本企業を守ってまで投資を呼び込みたいのでしょうか。
瀬口: その背景として中国側の問題があります。中国は足もとの経済は安定しています。雇用も強く、都市部の有効求人倍率も過去最高水準。物価も1990年代前半に市場経済化を始めて以来最も安定しています。マクロの経済政策として重要な雇用と物価は安定している。でも、先行きを見ると不安材料があります。それが輸出です。10年から伸び率が下がり続けており、このままいくと貿易黒字が赤字に転落する可能性がある。ブラジル、インドネシア、インドなど新興国が軒並み経常赤字に転落しており、これらの国は「通貨が弱くなる→輸入インフレが起こる→それを防ぐために金利を上げる→景気が悪くなる」というパターンをたどっています、これを中国は懸念しています。中国がまだこの状態になっていない最大の理由が、「輸出競争力が強いから」。これを維持するには、世界最高水準の技術力を持つ日本の企業に何としても投資を続けてほしい。日本企業は他国企業と比べても圧倒的にプレゼンスが大きいですから「何としても日本を守れ」というのが中国のスタンスです。
日系の自動車も13年秋からぐんと伸びている
―― 一時は不買運動が起こったほどの日本製品ですが、今の人気はどうなっているのでしょうか。
瀬口: 確かに12年9月から13年夏までは、日本への旅行客が激減しました。ところが今は、個人客では大変な日本旅行ブームです。安倍首相の靖国参拝は13年12月26日でしたが、それから1か月後の1月31日から2月6日の旧正月(春節)期間には、日本に大量に旅行客が押し寄せています。普段は7万円のチケットが35万円に高騰するほどです。北海道、九州、沖縄などが大人気で、1~3月の上海総領事館の日本滞在ビザの発給件数は前年同期比の3倍近くにまで伸びています。日本に対していやな感情を持っていたら、絶対こんなことは起こりません。もうひとつは自動車です。尖閣の後は大きく減少し、しばらくは前年同期比50%減といった状態が続いていましたが、ようやく13年の春頃から前年並に戻り、13年秋からぐんと伸びている。この頃には暴動で車が壊される心配はなくなっていました。元々日本車はデザインや価格の面では中国人に人気があるタイプの車ではなかったのですが、13年夏に各社とも中国人好みのデザインで、中国国内の部品を活用してコストダウンしたニューモデルを続々と投入した結果、販売台数が高い伸びを記録しました。14年に入ってからも1~5月の累計で日産が15.4%、トヨタが16.1%,ホンダが10.6%と高い伸びが続いています。日本の代名詞とも言える車も回復していますので、「反日感情が日本の商品の売れ行きに影響している」という状況は終わったと思っています。
中国は一流企業にとっては絶対負けられない市場
―― ですが、報道で日本に伝わってくる限りでは、そうは思えません。
瀬口: 中国で成功している企業は、中国マーケットが日中の政治の影響を受けないことを実体験として知っています。ただ、中国マーケットは、全世界の超一流企業が入ってくる上に日本ほど参入障壁が高くないので、本当に「がっぷり四つ」の闘い。日本企業でも世界で戦えるところでなければ生き残れません。そして、そのような日本企業は必ずしも多くありません。中国で成功できない日本企業は、製品が売れない理由を日本の本社に対して自社の努力不足」だとは言えずに「尖閣のせい」だと言う。報告を受けた本社は、それを鵜呑みにし、メディアにも同様のことが書いてあるので、「うちもやられた。やっぱり中国は難しい」と納得してしまいます。
―― それにしても、「日本企業が中国で儲かっている」という話は全然聞きません。なぜでしょうか。
瀬口: 中国でうまくいっているという話になると、「では、いくら儲かったのか」となる。以前は年に数十億程度でしたが、最近は年に100億、1000億単位で利益をだす企業が続出しています。今の日本国内の状況では「あの企業は中国でもうけている」と言われることは、決してブランドイメージを高めません。ですが、中国は一流企業にとっては絶対負けられない市場で、「中国で負けました」となると、世界に出て行けなくなります。日本だけではなく、米国、韓国など、世界の一流企業はみんなそうです。
―― 先ほど、中国から日本への観光客が激増しているという話がありました。日本への観光客を増やすことは、日本の成長戦略の柱のひとつです。今後も増えるのでしょうか。仮にボトルネックがあるとすれば何でしょうか。
瀬口: 13年に日本を訪れた中国人の数は約131万人で、今の伸び率が続けば14年は260万人。数年で300~400万人はいくでしょう。ビザを免除したタイ、マレーシアの日本への観光客は大幅に増えています。中国も免除すれば、すぐに700万人に届くでしょう。中国ビジネス業界では、2020年には「中国人だけで1000万人を超えるだろう」という見方も出ています。政府は2020年までに訪日外国人数を2000万人に増やす目標を掲げていますが、その半分が中国人でクリアできるというのが今の成熟した日中関係です。
心の交流で日中関係を根底から変えるのがベスト
ボトルネックはビザ以外に、大きく2つあります。そのうちのひとつが航空インフラ整備です。日本は入国してから都心までの移動に時間がかかります。成田空港と東京駅を結ぶ成田エクスプレスは本数が少ないし1時間もかかる。羽田空港からは、鉄道だと品川で乗り換えないといけません。これが各空港から東京駅周辺まで10~20分で行ける、高速鉄道で結ばれると、「北京-上海」といった中国の国内移動と同じ感覚で日本に来られるようになります。 もう一つが法人税です。空港アクセスを改善した上で法人税が25%にまで下がると、もうひとつ別の効果が期待できます。PM2.5の心配がない東京に住んで中国ビジネスをやりたいと考える人が日本企業や欧米企業で増えています。法人税が下がれば、これが現実的になります。欧米企業では中国赴任を拒否する人も出ているので「東京のいい環境で柔軟に頭を使いながら中国ビジネスをやる」。全世界の企業がそう考えると東京がものすごく注目され、国際会議も増え、お客さんも増え、観光客も増える。ビルの投資にもつながり、地価の上昇にもなる。バブルではなくて実需なので崩れない。もちろん東京はアジアの中核都市になる。そういう長期的なことを考えると、この3つを組み合わせたら、アベノミクスの3本目の矢は完了ですね。
―― 実際に日本に観光に来てもらうことは、潜在的な日本の支持者を増やすこともであります。
瀬口: 日本と中国の関係を変える、こんなにパワフルな道具はありません。どんどん来てもらう。東京五輪は最高のシチュエーションです。バドミントン、卓球、高飛び込みでは、中国が間違いなく好成績を収めるでしょう。決勝の観客は大半が中国人。彼らがみんな日本ファンになるかも知れません。それを目指して日本は最高の準備をして、心の交流で日中関係を根底から変えるのがベストです。一気には変わりません。時間をかける必要があります。(連載終わり)
瀬口清之さんプロフィール
せぐち・きよゆき キヤノングローバル戦略研究所(CIGS)研究主幹。1982年東京大学経済学部卒業、日本銀行入行。04年にInternational Visiting Fellowとして米ランド研究所に派遣。北京事務所長、国際局企画役を経て09年から現職。