ロンドン五輪では「世界的な経済危機」背景に会場変更
東京都オリンピック・パラリンピック準備局に聞くと、2012年のロンドン五輪でも当初計画されていた競技会場をその後変更したと舛添知事が言及していたようだ。調べると、バドミントンと新体操の会場が選手村から30キロ以上離れた「ウェンブリー・アリーナ」となっていた。2009年11月27日付の読売新聞によると、IOCが会場変更に同意した理由として、当時の世界的な経済危機が背景にあったという。巨額の建設費を節約する必要性が重視されたとみられる。
2008年開催の北京五輪でも、テニス会場の変更を巡って北京五輪組織委員会と国際テニス連盟の話し合いが難航と、共同通信が2005年2月12日に報じていた。招致段階の計画と違ううえ、代替の施設が当初の予定地から35キロ離れていることに連盟側が難色を示していた。実際にテニスが行われたのは、メーンスタジアムなどが建設された「オリンピック公園」内のコートだった。
実は2018年に韓国・平昌(ピョンチャン)で開かれる冬季五輪でも、スピードスケートやアイスホッケーの競技場建設に関して規模の縮小や設計の見直しが議論されているという。「五輪後の活用策に現実性がなく、運営費の負担が重い」(6月13日付朝鮮日報電子版)のが理由だが、新設しなければ当然代替施設を探さねばならない。
東京五輪の場合、仮に「8キロ圏外」の既存施設利用を推進するとなると、予算軽減の面では効果が期待できるが、最初に掲げた「コンパクト五輪」の理念からは遠ざかっていく。都側は高速道路の整備や移送手段の工夫によって選手への影響を軽微にしたいとの考えだが、選手村から30~40キロの施設が増えれば、ただでさえ都心の道路は日中の渋滞が予想されるだけに、移動に負担を抱える選手も多くなる。舛添知事は6月13日にIOCのバッハ会長と会談し、一定の理解を得た模様だ。だが具体的な見直しはこれからで、最初の計画から大きく外れるようでは「ひと悶着」あるかもしれない。