月給3万円から「7年、42億円」プレーヤーに
1959年、キューバ革命でカストロ社会主義政権が誕生。同時にプロ選手制度は廃止となり、野球選手も「国家公務員」となった。米国との国交断絶、それどころか敵国関係になった。ただカストロは大の野球ファンで野球は存続した。
かつて日本の阪急(現オリックス)にバルボンというキューバ人二塁手がいた。革命の4年前の55年から11年間プレー(最後の1年は近鉄)。俊足好打、攻守で活躍。いきなり最多安打と打ちまくり、通算308盗塁(タイトル3回)を記録した。
「(キューバに)帰りたいけど、帰ったらもう(キューバから)出て来ることはできないね。つらいけど仕方ないよ」
こう言って残念がっていたものだった。チコと呼ばれて親しまれ、神戸に店を出したり、阪急の通訳もした。
大リーグにもキューバ選手はいたのだが、革命後は亡命してプレーする歴史をたどった。それが現在、ドジャースのプイグは「7年、42億円」で、ホワイトソックスのアブレイユは「6年、68億円」という契約を結んでいる。キューバではせいぜい月給3万円程度というからウソのような話だ。
セペダやグリエルは日本-キューバ友好の一環で来日している。彼らの年俸の10%は仲介料の形で国に入るという。いわゆる「レンタル選手」である。
日本球界は政治的トラブルがない形なら大歓迎で、今後もキューバ選手を求めるだろう。なにしろトップスターが毎年のように大リーグにいってしまう状況だ。レベルの低下に悩んでいただけに、世界が実力を認めるキューバ選手は、穴埋めには最高だ。新しい野球が見ることができる楽しみが増えた。
(敬称略 スポーツジャーナリスト・菅谷 齊)