民間の労働時間規制について、とうとう改革の方向性が出たようだ。年収1000万円以上の人を対象にするということで、政府内の合意ができた。
「その対象者は管理者を含めても3.8%」などの点は、1か月前の本コラム(「残業代ゼロ制、多くの人には無関係~」)でも指摘した。今回は、厚生労働省官僚の視点から考えてみよう。
マスコミの「適用除外イコール残業代ゼロ」は、ミスリーディング
議論になっていたのは、労働基準法を適用する労働者をどうするかということだ。産業競争力会議の民間議員は、欧米並みに、労働時間数で仕事の内容を測れない一定割合の労働者に対し、労働基準法の適用除外を求めた。これに対し、一部マスコミが「残業代ゼロ」とのネーミングで、あたかもすべての労働者の残業代をゼロにするかのような報道をした。
そうした報道がなされた場合には、厚労官僚は、「労働基準法の適用除外という意味で、残業代ゼロでない」というべきだった。その一番の好例は、国家公務員である。国家公務員は、実は労働基準法の適用除外である。しかし、残業代は残業時間にリンクしない形で、満額ではないものの残業予算を配分することで支払われている。要するに、「適用除外イコール残業代ゼロ」というのは、ミスリーディングなのだ。
ところが、厚労官僚はそうした説明を行ったフシはない。こんな話は国家公務員であれば、誰でも知っていることであるが、マスコミ報道では見かけない。そこで、1か月前の本コラムで「官より始めよ」といったわけだ。
なぜ、厚労官僚は「残業代ゼロではない」といわなかったのか。官僚の習性として、自己の権限を確保しようとするので、自分の所管法律の適用除外は本能的に避けようとする。そこで、産業競争力会議の民間議員が、欧米並みの適用除外を求めてきたときに、残業代ゼロと誤解されれば、国民からの反発が強くなることを予見できるので、残業代ゼロというネーミングを放置したのだろう。
注意すべきは、裁量労働制の今後の運用
厚労官僚は、労働基準法の適用除外を回避するために、別の仕掛けも準備していた。今回の議論の対象でない裁量労働制だ。この制度は、労働基準法が適用され、労働時間概念は残っていて、実労働時間に関わらず、みなし労働時間分の給与を与える制度だ。
この対象になっている労働者は、専門業務型といわれる(1)研究開発、(2)情報処理システムの分析・設計、(3)取材・編集、(4)デザイナー、(5)プロデューサー・ディレクターなど19業種(労働基準法38条の3)と企画業務型といわれるホワイトカラー労働者(労働基準法38条の4)で、労働者に占める割合は8%程度だ。
ただし、制度の運用は、厚労官僚のさじ加減ひとつであり、はっきりしない部分が多く、使い勝手が悪い。こうした意味で、ホワイトカラー・エグゼンプションと裁量労働は似て非なるモノだ。
労働時間規制の議論の勝者は、産業競争力会議の民間議員や労働者でもなく、厚労官僚だ。適用除外を限りなく少なくして、その不満は裁量労働制で救っている。裁量労働制は、労働者の労働時間の「裁量」ではなく、厚労官僚の「裁量」を尊ぶ制度だ。一方、適用除外には、厚労官僚の裁量の余地はまったくない。厚労官僚の裁量は、今回の議論で確保されている。
今回の適用除外を年収1000万円以上とすることを、蟻の一穴という人がいれば、法律の素人で的外れだ。適用除外なので、今後の広がりは少ない。むしろ、今回の議論で対象となっていない裁量労働制は、厚労官僚の裁量によって、今後とも広がる可能性がある。残業代ゼロというアバウトな言葉を使わず、適用除外ではなく裁量労働制に注意すべきだ。
++ 高橋洋一プロフィール
高橋洋一(たかはし よういち) 元内閣参事官、現「政策工房」会長
1955年生まれ。80年に大蔵省に入省、2005年から総務大臣補佐官、06年からは内閣参事官(総理補佐官補)も務めた。07年、いわゆる「埋蔵金」を指摘し注目された。08年に退官。10年から嘉悦大学教授。著書に「財投改革の経済学」(東洋経済新報社)、「さらば財務省!」(講談社)など。