崖っぷちユニチカに未来はあるのか フィルムや耐熱樹脂事業の拡大目指す

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「繊維以外の収益源の育成が遅れた」

   ユニチカは1889(明治22)年、兵庫県尼崎市で尼崎紡績として創業し、1918年に摂津紡績と合併して大日本紡績になった。ニチボーへの改称を経て1969年には子会社だった日本レイヨンと合併しユニチカが発足した。バレーボールの強豪「ニチボー(日紡)貝塚」は1964年の東京五輪で「東洋の魔女」と呼ばれた女子の日本代表に多数の選手を輩出したことで有名。自社宣伝のためのキャンペーンガール「ユニチカマスコットガール」は、初代の風吹ジュンさん(1974年)、2代目手塚理美さんら、水着キャンペーンガールは米倉涼子さん(1996年)らが務めたことで知られる。

   そんな名門企業が金融支援を仰ぐに至った理由は何か。「成長投資が十分でなく、事業選択に関する改革も不十分だった」。安江社長が大阪市内で開いた記者会見で、険しい表情で語ったように、創業の繊維事業は中国や韓国などに押されて競争力が著しく低下する中、東レや東洋紡などの同業他社が繊維事業の縮小と同時に繊維以外の事業強化にシフトし、繊維に変わる新たな収益源作りに努めたのに対し、ユニチカは「繊維以外の収益源の育成が遅れた」(業界関係者)。構造改革が進まないまま、業績悪化が進み、財務体質は弱体化。今年3月末の自己資本比率は6.1%まで低下し、健全な製造業の指標とされる20~30%を大きく下回る「危険水域」にさしかかった。もはや自力で構造改革を進めるための資金も作れず、じり貧状態に陥っていたのが実情だ。

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