東京電力福島第1原発の事故で、事故直後に作業員の大半が事故対応責任者だった吉田昌郎元所長=2013年死去=の指示に反して、約10キロ離れた福島第2原発に退避していた可能性が明らかになった。政府の事故調査・検証委員会のヒヤリングに対して吉田所長が語った内容として、2014年5月20日、朝日新聞が報じた。
ただし、朝日新聞が入手したというヒヤリング記録は非公表で、政府は吉田氏の意思を理由に公開を拒んでいる。その上、東電は吉田氏の指示が第2原発への退避を念頭に置いたものだと主張しており、事実関係を検証するのは困難な状況だ。
「本当は私、2Fに行けと言っていないんですよ」
原発事故に関する調査委員会は、政府、国会、東電、民間の少なくとも4つがあり、それぞれが報告書を発表している。朝日新聞はそのうち、政府事故調が吉田氏に対して行ったヒヤリングの記録「吉田調書」を入手したという。ヒヤリングは11年7月22日から11月6日にかけて計13回、時間にして29時間16分(休憩時間1時間8分を含む)に及ぶ。
問題とされているのが、2号機が危機的状況になった11年3月14日から15日午前にかけての動きだ。この時の吉田氏の認識について、政府事故調の報告書では
「多数の東京電力社員や関連企業の社員に危害が生じることが懸念される事態に至っていたことから、福島第一原発には、各号機のプラント制御に必要な人員のみを残し、その余の者を福島第一原発の敷地外に退避させるべきであると考え、東京電力本店に設置された緊急時対策本部と相談し、その認識を共有した」
とある。この「敷地外」は、具体的には「福島第2原発」のことを指すようだ。報告書には、その後の退避状況についての記述はないが、朝日報道によると、吉田氏は15日朝時点で格納容器は破損していないと判断し、6時42分に
「高線量の場所から一時退避し、すぐに現場に戻れる第1原発構内での待機」
を社内のテレビ会議を通じて指示。ところが、所員の誰かが重要免震棟の前に止まっていたバスの運転手に「第2原発に行け」と指示し、バスは7時頃出発。自動車で移動した人を含めると、約9割の所員が第2原発に移動し、昼ごろまで戻ってこなかったという。
吉田氏はヒヤリングで
「本当は私、2F(第2原発)に行けと言っていないんですよ。ここがまた伝言ゲームのあれのところで、行くとしたら2Fかという話をやっていて、退避をして、車を用意してという話をしたら、伝言した人間は、運転手に、福島第二に行けという指示をしたんです。私は、福島第一の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fに行ってしまいましたと言うんで、しようがないなと」
と語ったという。