線路が参道に戻る日【福島・いわき発】

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   去年(2013年)初めて、近所の立鉾鹿島神社の祭典に出席した。5月4日(みどりの日)が例大祭の日で、社殿前から出発したみこしはためらいなく目の前の線路(常磐線)を横切り、氏子の待つ集落へと繰り出した。


   堂々とみこしが線路を渡っていく――。びっくりしながらも、そこはもともと参道ではないか、参道を行くのは当然だと、すぐ納得した。


   神社から南方の旧道(近世の浜街道)へとまっすぐ参道が延びる。たまたま明治30(1897)年に参道を横切って常磐線の線路が敷かれた。ふだんは当然、通行が禁止されている。ハレの日、5月4日だけはJR関係者が立ち会うなか、線路を往来できる。今年もそうして線路を渡った。



   わが家の斜め向かい、旧道沿いの参道入り口に神社名が刻まれた石碑が立つ。そのはるか奥に一の鳥居(=写真)がある。二の鳥居は線路の向こう、社務所のわきに立つ。


   旧道沿いの家並みを抜けると水田になり、線路近くになってまた家が立ち並ぶ。きのう(5月4日)、参道を歩いていくと、休耕田が2枚、盛り土された田が2枚、目に入った。神社の祭典に出席した人の話だと、盛り土された田は戸建て住宅になるようだ。


   東日本大震災後、いわきでは大津波に襲われた沿岸部だけでなく、市街地でも建物の解体、建築・更地化が進む。住宅と田畑が混在するわが家の周辺も、時間の経過とともに風景が変わってきた。田畑のあとにアパートや戸建て住宅が立つようになった。参道の両側にもやがて、すきまなく家が連なることだろう。

(タカじい)



タカじい
「出身は阿武隈高地、入身はいわき市」と思い定めているジャーナリスト。 ケツメイシの「ドライブ」と焼酎の「田苑」を愛し、江戸時代後期の俳諧研究と地ネギ(三春ネギ)のルーツ調べが趣味の団塊男です。週末には夏井川渓谷で家庭菜園と山菜・キノコ採りを楽しんでいます。
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