東日本大震災から3年余りたち、津波の被害を受けた建物等「震災遺構」の保存問題をめぐり、今も各地で議論が続いている。
悲惨な経験を忘れないため、また被害者の慰霊のために保存を目指す動きがある一方で、悲しみを呼び覚ますなどの遺族感情や整備や維持管理費用負担の問題から、保存をあきらめて解体を選択する自治体もある。
大槌町旧役場庁舎は全体の3割を残す
津波で当時の町長ら職員40人が犠牲になった岩手県大槌町で、旧役場庁舎の一部を解体する作業が2014年4月10日に始まった。町は町民課や町議会議場があった正面中央部分など全体の3割を震災遺構として残し、議会事務局があった西側、町長室などがあった東側、産業振興課などがあった北側を、7月末ごろまでに取り壊す。町民の中には保存に反対する意見もある中、碇川豊町長は「大津波を継承することには大事な意味がある」と保存を決めた。
一方、宮城県気仙沼市で陸に乗り上げた「第18共徳丸」は13年秋、市が保存を断念、所有者が解体を選択した。大槌町の民宿屋上に乗り上げた「観光船はまゆり」も、落下の恐れがあるとして解体された。また、全校児童108人の7割に当たる74人が死亡、行方不明になった宮城県石巻市立大川小では卒業生らから遺構として残す声が上がっているが、多数の生徒が犠牲になった原因や市教委の対応を巡って遺族の市教委への不信感が強いこともあって、遺構として残すかどうかの議論に入れない状態が続いている。