大槌町消防団一筋に57年。町消防団団長の煙山佳成(けむやま・かなり)さん(75)が、消防団生活に別れを告げる退任式が3月31日、町役場でありました。
煙山さんは1957(昭和32)年に団員になり、1999(平成11)年から団長を務めました。震災の時、義母のタマさん(当時92)、妻の昌子さん(同73)、長男の隆之さん(同40)を、商店を兼ねた自宅に残し、消防団活動の指揮をとりました。3人は、タマさんが、体が不自由だったこともあってか家にとどまり、津波で犠牲になりました。
さらに煙山さんは震災で多くの仲間を失いました。消防団員14人が殉職したのです。第2分団では、寝たきりのおばあさんを避難させようとしたり、津波襲来を知らせるために半鐘をたたいたりしていて11人が犠牲になりました。第3分団では、近くのホテルの料理長を救出しようとしたりして3人が亡くなりました。
退任の辞令交付式で碇川豊(いかりがわ・ゆたか)町長は「震災で自ら被災する中で、救出活動に当たった。活動は歴史に刻まれ、語り継がれていくだろう」と、感謝の言葉を述べました。煙山さんは「殉職した団員の冥福を祈りたい。震災後の多くの方々との出会いが財産になった。若い人に復興を託したい」とあいさつしました。
煙山さんは「なぜ、家族に、『早く逃げろ』と言って家を出なかったのだろう」と、無念の思いを持ち続けています。退任式を終えて、「家に帰ったら辞令を仏壇にあげて報告したい。家族には世話になった」と涙を浮かべ、こうも付け加えました。「避難訓練を重視せよ、という声は消防団の中にあった。しかし、津波が襲ってきたらどうなるかを現実的に考えていなかった。訓練を重ねていれば、団員の犠牲を減らすことができた」
震災前、220人いた団員は、震災で16人が犠牲になり(うち2人は任務外)、震災後の転居が加わって180人ほどに減りました。かつての中心市街地は消え去り、48カ所の仮設団地で人口の約3分の1の住民が避難生活をしています。団員の確保と組織の再編は避けられません。独りで仮設住宅に住む煙山さんは、これらの課題に心を残しながら、震災の教訓を後世に伝える役目を果たしたいと考えています。
(大槌町総合政策課・但木汎)
連載【岩手・大槌町から】
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