【震災3年 復興へ前を向く(5)】
至るところで「かさ上げ」進む気仙沼 街は再建に向けて歩み始めたが…

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   津波や大火災で壊滅的な被害を受けた宮城県気仙沼市では、土地の「かさ上げ」作業があちこちで行われていた。

   街は再建に向かって徐々に歩んでいる。港に停泊している漁船も増えてきたようだ。しかし、魚市場周辺は今も「更地」が目立ち、新しい建物はまばら。家を流された地元住民は、以前住んでいた場所になかなか帰って来られない。

土が数メートル盛られ、車より高く積み上がる

鹿折地区ではショベルカーやクレーン車が数多く見られた
鹿折地区ではショベルカーやクレーン車が数多く見られた

   記者はBRT(バス高速輸送システム)を利用して、岩手県陸前高田市から宮城県気仙沼市まで移動した。車窓から頻繁に見えたのが、かさ上げの風景だ。地面から数メートルの高さに土が盛られ、台形状になった場所を多く見かけた。

   気仙沼市の鹿折(ししおり)地区。1年前に来たときには異様な巨体をさらしていた大型巻き網漁船「第18共徳丸」が、跡形もなくなっていた。津波で地上に打ち上げられた全長約60メートル、総トン数330トンの漁船は、「震災の象徴」として保存を望む声も出たが、反対する市民が多数を占めたため2013年中に解体された。

   震災1周年にあたる2012年3月、鹿折地区にはまだがれきや焼け焦げた車の山が積みあがっていた。翌年に訪問した際、これらは片付けられていたが、空き地が延々と広がる寒々とした光景に住民は「このままの状態が続けば、誰も来なくなってしまう」とため息をついていた。しかし3年目の今年は進展が見られた。市街地整備のため、高々と土が盛られている場所が少なくない。行きかう車の高さの倍程度に積み上がった場所もある。かさ上げした区域は将来住宅地として活用される予定だ。数多くのショベルカーが出動し、幹線となる道路が新たに整備されて交通量も多かった。電柱が何本も立てられて、電線の設置工事に汗を流す作業員も目に留まった。

   続いて大島行きフェリー発着所や魚市場のある、魚町・南町地区(通称「内湾地区」)を歩いた。同行してもらった佐々木洋一さんもかつてこの地区の住民だったが、自宅が津波で全壊した。その場所は今も更地のままだ。

   気仙沼市では2012年7月9日、建築基準法39条に基づき気仙沼湾西側の広い地域を「災害危険区域」に指定。住宅や宿泊施設、児童福祉施設などの建築を制限している。ただ内湾地区は、防潮堤の位置や高さが決まった後に指定を行うため、現段階では対象から外れている。

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