学問分野のモラルや倫理教えられず、罪の意識が低い?
とは言え私大教員は、「さすがに指導教官なら、読めば(コピペだと)気づくはず」と首をひねる。「コピペ」が確定したわけではないが、事実なら審査した側にも落ち度があったかもしれない。
国内の大学では、類似の問題がしばしば起きている。最近でも名古屋外国語大学が2014年2月24日、現代国際学部国際ビジネス学科長の教授が過去に発表した論文に盗用の疑いがあることを明らかにした。執筆者からの抗議で発覚し、本人も認めた。明治大学では2012年、経営学部の男性教授が、他の研究者のブログを学術誌の論文に無断転用し、厳重注意を受けた。早大では2013年、博士論文で64か所の不適切な引用が見つかり、うち12か所は無断盗用だったとして学位を取り消した。
博士論文の執筆には相当なプレッシャーが伴い、提出期限が迫るなかで思った通りの結果が導けないと心理的に追い詰められ、苦しむのは事実だろう。「ちょっとだけなら拝借しても分からない」という悪魔のささやきが聞こえるかもしれない。だが一方で、「コピペ」を大量に行えば専門家から見ればすぐにばれるというのは理解しているはずだ。それでも盗用が絶えないのはなぜか。
前出の国立大教授は「罪の意識の低さが原因ではないか」と指摘する。米国では、学問分野でのモラルや倫理について高校生の時期から徹底教育される。文献の引用・参照のルールや、盗用が誤った行為であることを叩き込まれ、違反すれば厳しい罰があると教え込まれるという。一方、日本を含めアジアではこうした内容を学校で教えることはまずない。教授も、アジアからの留学生のリポートを読むと「コピペだらけ、というのもしばしば」と苦笑する。
小保方氏は、STAP細胞論文に加えて過去の博士論文についても、疑惑を晴らさねばならなくなった。