建設会社時代の経験とノウハウで構想
ボランティアツアー同様に力を入れる「仮設村プロジェクト」。「5畳サイズ」の木造ユニットハウスを被災地に提供し、共同体の再生に活用してもらう。建設会社時代の経験とノウハウをもとに構想、建造物の設計から建築、現地への運搬まで世話をする。コミュニティーの集会場として、そして漁師たちが漁具の保管や作業を行う「番屋」として活用されている。
「街を高台に建設するのには何年もかかる。その間にも漁師たちには暮らしも仕事もある。仮設でもいいから居酒屋やコインランドリーや郵便局などをそろえて『村』をつくり、仕事の上では番屋のような施設が必要なのです」
山口さんはこう語気を強める。小さな漁村で、少数の漁師が番屋の建築費を負担するのは困難だ。「仕事場」の環境が整備されなければ漁の継続は難しく、諦めざるを得ない。現に女川町出島では、震災前に50人いた漁師が現在は10人ほどに減った。仮設住宅から「通勤」して漁を続けているが、生活環境は過酷だ。状況改善に役立てようと、希望の多かった番屋の再建に一役買った。
漁師たちの金銭的な負担を減らすため、談判して大手スポンサーを獲得する一方、多くの寄付を集めた。番屋は海岸に設置するので、錆びない資材が必要だ。サイズが大きすぎると、組み立てた後トラックに積んで道路幅の狭い場所へ運ぶのに支障が出る。現時の事情を詳しく調べ、細かなニーズに対応した建物を小さな漁村に次々と届けた。
2014年に入っても支援は継続中だ。ただボランティアについては、人員確保に苦労するようになっている。
「政府は景気回復を声高に主張し、マスコミも(震災報道に)飽きてきたのでは、という気がする」
政府の復興計画が防潮堤建設のような災害対策に偏りがちなのにも困惑する。「小さな漁村を切り捨てず、地域をいかに復活させることが重要かを理解すれば、ほかにも支援の方法があるはず」というわけだ。
被災者の生活再建は、まだまだ過渡期に過ぎない。日々の暮らしを支えていかなければ、こうした目的は達成できない。長く険しい道のりだが、地道なサポートをこれからも続けていくという。(この連載は随時掲載します)