東京海上日動火災保険が、10年以上前の2002年4月~2003年6月の最大12万件の「不払い」問題に揺れている。読売新聞の報道が発端で、永野毅社長が2月7日に記者会見し陳謝する事態となった。監督官庁の金融庁が「基本的に問題なし」と静観しているため、経営責任などへの発展はなさそう。
ただ、永野社長は「できる限り支払う」としているが、契約データは9年の保存期限を超えたためほとんど消滅しており、支払いは難航が見込まれる。学生の就職先人気ランキングでも常に上位の超優良企業の「契約者目線」の姿勢が、改めて問われている。
生損保を揺るがした05年の不払い問題
問題になったのは、通常の自動車保険に付加する「対人臨時費用保険」と呼ばれる契約。人身事故で相手が入院したり、死亡した場合に相手へのお見舞い金などとして1万~10万円の保険金が支払われる。
なぜ問題になっているのか、を理解するには「保険の不払い問題」の経緯を知る必要がある。2005年、生命保険、損害保険を問わず、本来契約者が受け取れるはずの保険金が支払われない「保険金の不払い」がクローズアップされた。端緒は金融庁検査。明治安田生命保険で2005年2月に発覚した。金融庁が生損保全社に調査を指示。損保の場合、2003年4月~2005年6月までを調査し、公表した。
生損保ともほとんどの会社で不払いが存在したことが明らかになり、各社とも金融庁から業務一部停止を含む行政処分を受けた。明治安田のように問題の責任を取ってトップが退任に追い込まれた社もあった。各社とも、(1)分かりにくいと不評な契約内容を丁寧に説明する、(2)保険金を請求できることを通知する、(3)保険商品の簡素化に努める――などの再発防止策を講じてきたのが、これまでの経緯だ。
今回、東京海上で問題になったのは、損保各社が金融庁に調査を指示された期間の前半にあたる2002年4月から2003年6月まで。東京海上は2003年7月以降は顧客から保険金請求がなくても通知して支払う運用に切り替えたが、それ以前は請求があった分だけを支払っていた。そのため、調査報告でも、2002年4月から2003年6月までは「請求されたのに払わなかった」数十件だけを「不払い」公表数に含めた。
2003年7月~2005年6月については、請求できることを通知したのに支払い漏れがあったものを「不払い」とカウントし、結果、全調査期間で「不払い」は約1万8000件にのぼると公表した。当時の金融庁はそれを認めたという。
現体制を快く思わない社内の内部告発者がいる?
しかし、2003年6月までに事故が起きた契約者にすれば、運用の変更は預かり知らぬところで東京海上が勝手に実施したもの。「なぜ自分たちは通知してもらえなかったのか」という不公平感はぬぐえない。同業他社も「同じような付加契約は、調査対象期間中は請求の有無にかかわらず対象者すべてに支払った」との対応を取っただけに、なおさら不公平感は高まる。「今さら請求しろと言っても会社にデータが残っていないのにどうやって証明するのか」との不満も募る。
不公平感の強い当時の契約者が救済されるべき点を十分に指摘した上で、浮上する疑問が「10年以上前のことがなぜ今、蒸し返されるのか」(ある大手損保)。今回の読売新聞報道は大阪本社の社会部が大きくかかわっていたようで、2月6日付朝刊の特ダネ記事も大阪本社版の方が扱いが大きく、日銀本店での永野社長会見にも大阪から記者が来ていたそうだ。そんな事情から保険業界では「現体制を快く思わない社内の内部告発者が大阪読売と組んだのでは」との見方が、広がっている。