佐村河内守氏のゴーストライター問題が話題を集めている。同氏を持ち上げたのはマスコミであったが、マスコミがどのように騙されたのかは、とても興味深い。
同氏とのインタビューを掲載しなかっただけで、騙されなかったと胸を張るメディアもあるが、報じてナンボだから、それではメディアの役割は果たせない。逆にマスコミでは、「自分が取材したとしても騙されていただろう」と平気でいう人が多い。そうした人に共通なのは、音楽を知らないということだ。
取材記者は、楽譜読めたのか?
たしかに、障害者で被爆二世となると、それだけで深く立ち入ってはいけない雰囲気がある。それにクラシック音楽という、かなり専門的な分野になると、三重の防護壁に囲まれているような世界だろう。しかし、ある程度、音楽を知っていれば、ここまで騙されることはなかったはずだ。
正直言えば、筆者の音楽技量・知識もたいしたことはない。ピアノも満足に弾けないし、大学で音楽部にいたといってもオーケストラ部に入るほどの実力はなかった。ただ、いくつかの楽器はでき、楽譜を初見でもなんとか弾ける。学生時代には耳コピ(聞いてコピー)で採譜もしていた。
作曲を語る上で、記譜したり、ピアノを弾いたりするシーンは欠かせないと思うが、それらがないまま報じられたのは、取材する側に音楽知識がないからではないか。今回取材したマスコミで、筆者レベルで楽譜を読める人がどれだけいるのだろうか。
こうした話は、政治報道の世界でもよく見られる。いきなり話題が飛ぶようだが、例えば、大阪市長選挙である。なぜ橋下市長が市長選をしようとしているのか、「法定協議会」とは何かという質問が、マスコミ関係者からよくくる。