人事案は発言の1か月前に提示されていた
「普通は、8月15日と11月25日というものは、それぞれ全く別の時間という風に考えられている。しかし、考えてみると、これは本当に三島由紀夫さんが昭和45年11月25日に自らの行動で示した『日本の国柄というものは、本来、国民が天皇のために命を捧げる、そういう国体である』(ということ)。そして、それと表裏一体になって天皇陛下が『身はいかに なるとも いくさとどめけり ただたふれゆく民をおもひて』と仰って、戦争終結を決断する。それが一体になっているのが日本の国体というものではないか」
昭和天皇の「聖断」と三島事件を一体として考えるべきだという発言だが、この意図については、
「このことは言ってみれば、ただ頭で理解すべきものではなくて、まさに、こころの中の先生が遺書に書いたように、自らの心臓を破ってその血を相手の顔に浴びせかけるという、こういう形でもって初めて世代から世代へと伝わる。そういう非常に難しい、しかし大切な事柄だったのではないか」
と述べた。
安倍内閣が長谷川氏を含むNHK経営委員の人事案を国会に提示したのは発言のちょうど1か月前の10月25日で、実際に委員に就任したのは12月11日だ。