延坪島砲撃事件では韓国の強硬策を思いとどまらせる
回顧録では、10年11月に起きた延坪(ヨンピョン)島砲撃事件の内幕についても明かされている。ゲーツ氏によると、「韓国は30年間にわたって北朝鮮の挑発行為に対して抑制的に耐え続けてきた」が、10年3月の哨戒艦「天安」(チョンアン)沈没事件が「南側の姿勢に変化をもたらした」という。天安の沈没事件では46人も犠牲者が出たのに加えて、延坪島の事件では民間人も犠牲になったため、報復を求める世論が高まっていたためだ。そのため、韓国側は延坪島事件に対しては、非常に強い姿勢で臨んでいた。
「韓国の元々の報復案は、空爆と砲撃の両方を行うもので(北朝鮮側の攻撃規模と比べて)不釣り合いに攻撃的だと思った。交戦が危険な形でエスカレートすることを懸念した」
地域の不安定化を避けたい米国は、かなりの労力を使って韓国を思いとどまらせたようだ。
「オバマ大統領、クリントン国務長官、マレン統合参謀本部議長と私が数日間にわたって韓国側と電話会談した。韓国は、最終的には北朝鮮が事件を起こした砲台がある場所に単に砲撃するにとどまった」
日本に関する記述もある。記述はアフガニスタンの治安情勢が悪化した08年のもので、資金拠出を渋った日本への失望感をにじませている。
「(ブッシュ)大統領は私に対して、例えば日本のような軍隊(の派遣)で貢献しないであろう同盟国から、アフガニスタンの部隊の訓練や装備に対してより多くの資金を拠出してもらう必要があると言い続けた。その結果は最低限のものだった」