「義士」なのか「犯罪者」なのか 安重根の評価巡り対立深まる

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潜水艦「安重根」、中には遺影も飾られる

   安は1879年、現在の北朝鮮にある海州市に生まれた。実家は裕福で、カトリックの洗礼も受けている。20代半ばから民族運動に身を投じ、愛国的教育活動、そしてのちに武装闘争に身を投じ、最終的に1909年に伊藤暗殺を決行、翌年処刑される。30歳だった。

   韓国では最新鋭の潜水艦に「安重根」の名が付けられるなど、まさに国民的な英雄となっている。同艦の艦内では、その遺影や遺墨が掲げられているという。サッカー日韓戦の応援に安の肖像を描いた垂れ幕が持ち出されることも有名だ。

   ただし当時の韓国皇室では、日本への配慮から、

「伊藤氏が我が国の人間の『凶手』にかかった」(当時の皇太子による電報、「純宗実録」所載)

と安をテロリスト扱いにしている。首都での歌舞音曲を禁止するなど、日本への徹底した配慮を見せており、韓国にとっては「気まずい」(朝鮮日報の記事より)事実だ。

   同じく半ば「なかったこと」になっているのが、安の遺児・安俊生の存在だ。実業家となった俊生は1939年、満州で伊藤の位牌に手を合わせ、伊藤の息子に「謝罪」した。韓国独立の英雄・金九はこれに激怒し、俊生殺害まで図っている。俊生は戦後間もなく、不遇のうちに死去した。安の孫たちは追悼式典などのためにしばしばメディアに登場するが、俊生の存在は無視されがちだ。

   また安は獄中での遺著で、韓国と日本、中国が共同して西欧列強に対抗すべきとの持論を展開している。ほかの人物なら「親日派」扱いされかねない主張だが、韓国内では「現在の観点でも先駆的な思想」(中央日報)として賛美を惜しまない。

   「犯罪者」か「義士」か、日中韓の緊張が高まる中、誰もが納得する答えは容易には出そうにない。

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