長嶋茂雄の背番号を「15」にしたかった男 川上哲治とはどんな人物だったのか

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川上の自宅には「足を向けて寝られない」

   ガンコ者だったことは事実である。とにかく凝り性。盆栽、石集め、釣り、ゴルフは凝りに凝った。石は遠征先で河原に拾いにいくほどで、グラブに似たものをことのほか自慢していた。書もなかなかのもので、雅号は「徹山」。性格をよく表している。「不動心」はとくに好んで書いた。ボールが止まって見えた心境につながる言葉だ。

   財界人との交際は広かった。そこで学んだことを選手のミーティングで語った。それをもらさずメモしていた選手たちがのちに監督として巣立った。V9戦士たちは「野沢に足を向けて寝られない」という。野沢とは川上の自宅がある東京・世田谷区の地名で、選手たちは9連覇のおかげで生涯困ることのない多くの収入を得たからである。

   この人のすごいところは自分を分かっていたことである。晩年、耳が遠くなった。殿堂入りの議長を退いたのも「大事なことを聞き落としては会議にならない」からだった。取材を受け付けなくなったのも「質問を聞き直すのは失礼にあたるし、記憶が正しくない可能性がある」ということからだった。

   年齢を経れば経るほど地位にしがみつく高齢者が多い昨今のなかで、川上は稀な人だった。ほんとうに頭の切れる野球人といえた。

(敬称略 スポーツジャーナルスト・菅谷 齊)

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