最期のツイートは「報知高校野球に掲載する原稿書こ!」
そんな中でも、伊藤さんは「書く」ことに情熱を燃やしていた。9月11日のツイートでは、
「私、決めた!将来の夢、看護師になろうと思ってたけど記者になる!スポーツ報知の高校野球専門の記者♪キラキラした青春を野球に懸ける球児を追いかけたい(^^)球児の素顔も、想いも、書きたい。将来の私はカメラとメモを持って走る☆なれるか分かんないけど野球が好きなんだ!」
と、記者を目指すことを決意。「報知高校野球」に寄稿することも決まった。
「私が書いた物が全国の人に見られるんやぁーって思ったらスゴいことだよね。私の事を知ってもらって頑張ろうって思ってくれたらありがたいなぁ。命って大事なんだよ。生きてるってスゴいことなんだよ。野球って私の人生そのもの。早くグラウンドに戻りたいよー。キャッチボールしたい」(10月3日)
「私の書いた言葉で、野球は勝ち負けじゃないって、素敵な仲間のこと、支えてくれる家族、指導してくれる監督、毎日使うグラウンドや道具など。。大好きな野球ができる事に感謝しよう。病室にいるマネージャーが野球人に伝えたいことを書きます!伝わったらいいなぁ。よろしくお願いします!!」(10月7日)
本人による最後のツイートは、10月17日朝7時2分。
「報知高校野球に掲載する原稿書こ!まだ半分くらいしか書けてない。。なかなか進まない。。」
そのおよそ8時間後の15時27分に、伊藤さんは息を引き取った。16歳だった。
ツイッターに保存されていたツイートが、死後に姉の手によって公開された。内容は、
「野球部のみんなへ。こんな私をマネージャーとして受け入れてくれてありがとう。みんなのサポートできて幸せでした。みんなとしたキャッチボール楽しかったよ。グラウンドで頑張るみんなを見ているのが私の力になった。たくさんのお見舞いもありがとう。みんなのマネージャーになれてとても幸せでした」
といった関係者への感謝の言葉だ。これらのツイートは「まとめ」などを通じて反響を広げており、すでに「まとめ」には「いいね!」が1300以上ついている。
「報知高校野球」編集部によると、未完の原稿は、何らかの形で誌面で紹介できるように遺族と調整を進めるという。13年12月上旬発売の14年1月号で掲載される見通しだ。