関東大震災から4カ月後の大正13(1924)年1月に、平町(現いわき市平)で同人誌「みみづく」第3輯が発行された。東日本大震災に伴うダンシャリで出てきたのを、古本屋をしている若い仲間が持ってきた。鈴木茶茂子という人が震災関連の短歌を発表している(=写真)。
タイトルは「悲報」で、前書きに<亡き浅香様におくる>とある。作者の短歌仲間の訃報に接して詠んだものと思われる。最後に「九、二五」の数字が記されている。大正12年9月25日に筆を擱(お)いた、ということだろう。震災から3週間と少ししかたっていない。
亡(ほろ)び行く其日(そのひ)の都夢にだに知るよしもなく文を書く我れ
なかなかに文は来たらず彼(か)の君の安否を問ふにすべもなきかな
十日経て文は来たらず何となく胸さわがしきこの日この夜
天地(あめつち)の裂けよと許(ばか)り地震(なゐ)ゆりし去(ゐ)にし其日を君何地(いずち)に
大災害が起きた直後は、家族や友人・知人の安否が気になる。が、なかなか連絡が取れないのは、今も同じ。ましてや89年前の大正時代は、庶民が利用できるほど電話は普及していなかった。手紙かはがきでのやりとりになるが、配達先は焼け落ちていた? 何日たっても往信がない。胸騒ぎが日ごとに増したことだろう。
漸やくに生命(いのち)を得しと喜びの短かき文も代筆にして
辛うじて生命を得しも束の間の欣(よろこ)び浅く今君は逝く
代筆による生存の誤報がどうして起きたのかは知るよしもない。すぐ訃報が届く。
泣けど泣けど今は皈(かへ)らず吾が友は焼野の原に吸はれてぞ逝く
病み痩せの手をばさしのべ愛子(はしきこ)を抱きし其人忘れかねつゝ
秋来れば又遭ひなんと別れ来し一人の友は今世にあらず
消し難く文字は哀しき死の報(し)らせ胸をつらぬく箭(や)を受けしごと
台風26号が福島沖を通過し、風雨がやんだきのう(10月16日)午後、台風を理由にさぼっていた仕事を再開する。その間に「みみづく」の震災詠を読んだ。 東日本大震災でもそうだが、関東大震災もこうして1人ひとりに思いを致すことでしか実相には迫れないのではないか。挽歌には古いも新しいもなく、うまいもへたもない。
(タカじい)
タカじい
「出身は阿武隈高地、入身はいわき市」と思い定めているジャーナリスト。 ケツメイシの「ドライブ」と焼酎の「田苑」を愛し、江戸時代後期の俳諧研究と地ネギ(三春ネギ)のルーツ調べが趣味の団塊男です。週末には夏井川渓谷で家庭菜園と山菜・キノコ採りを楽しんでいます。
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