知人たちといわきニュータウンにある応急仮設住宅を訪ね、管理スタッフから話を聴いた。外に出ると、スタッフが道路向かいの戸建て住宅群(=写真)を指さして言った。「仮設ができたころは空き地だったんです」
窪地を走る環状道路をはさんで、3・11後に広野町と楢葉町の仮設住宅ができた。楢葉側は、仮設住宅しかなかった。空き地が広がっていた。そのことを、管理スタッフに言われて思い出した。
真新しい2階建ての住宅がすき間なく並んでいる。洗濯物を干している家がある。建て主への引き渡しを待つばかりの家がある(窓ガラスに張り紙がしてあるので、それとわかる)。
東日本大震災から2年半余、いわき市内では家の建築ラッシュが続く。「不動産バブル」などともいわれている。
身近な暮らしの場では震災家屋の建て替えが進む。津波で家を失った人、双葉郡から避難してきた人たちが市内に土地を求め、家を建てるケースも出ている。それやこれやで、空き地になっていたニュータウンの宅地も家で埋まった。
かたや、仮設住宅のすぐわき――。セイタカアワダチソウの黄色い花が覆う法面(のりめん)の肩に、大根その他の野菜が葉を広げていた。1列4メートルほどの、猫の額ならぬ猫の鼻くらいのスペースでしかない。
避難する前は畑をやっていたというおばさんたちにとっては、ままごとのようなものだ。代用にもならない。が、なにもしないでいるよりはまし――土と向き合ってきた人生がそうさせるのだろう。<わが家に帰って思いきり畑を耕したい、野菜をつくりたい>。おばさんたちの「叫び」が、大根の葉を通して聞こえてくるようだった。
(タカじい)
タカじい
「出身は阿武隈高地、入身はいわき市」と思い定めているジャーナリスト。 ケツメイシの「ドライブ」と焼酎の「田苑」を愛し、江戸時代後期の俳諧研究と地ネギ(三春ネギ)のルーツ調べが趣味の団塊男です。週末には夏井川渓谷で家庭菜園と山菜・キノコ採りを楽しんでいます。
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