震災は多くの悲劇をもたらしたけれど、新たな友情をも育んだ。大槌町の浪板(なみいた)観光ホテルを舞台にした宿泊客の逃避行は、大槌町と秋田県五城目町(ごじょうめまち)を、友情の絆でしっかりと結びつけた。
震災の時、ホテルには五城目町のお年寄り一行、43人が宿泊していた。秋田市内の旅行会社が企画した2泊3日の「芝居観劇湯治の旅」だった。その時、全員が地下1階のホールで観劇中だった。大きな揺れの後、停電になり、暗闇に閉ざされた。有事の際には客の安全を最優先させる。ホテルでは安全管理が徹底していた。従業員は、「避難!」「避難!」と大声をかけ、客をホテルの外に誘導した。
お年寄り一行は、浴衣に羽織、スリッパ姿だった。部屋に戻って着替え、荷物を持ってくる余裕はなかった。従業員の指示で、ホテル前の坂を上り、国道を横切り、JR山田線の線路によじ登り、さらにその上の山道をめざした。一行が落ち着いたのは近くの町内会の集会所だった。
ホテルは津波にのみ込まれた。客の避難を見届けた社長、料理長が犠牲になった。料理長を救出しようとした消防団員3人も犠牲になった。
集会所では、地元の人たちがコメや衣服、毛布を差し入れてくれた。一行は、ここで2泊し、震災から3日目に五城目町にたどり着いた。「命拾いしたのはホテルの従業員や大槌町民のお蔭だった」「ホテルは犠牲者を出しながら全員の命を守ってくれた。このご恩を忘れてはならない」。五城目町の恩返しが始まった。
すぐに救援物資が大槌町に届けられた。街頭募金で集めた義捐金が贈られた。町の老人クラブにより交流会が企画され、ホテルの従業員が招かれた。2012年5月には、大槌町と五城目町との中間地点の岩手県花巻市に、両町のアンテナショップ「結海」が開店した。店の名に太平洋と日本海を結ぶ意味が込められた。
2013年7月から8月にかけて、絆が一層強まる出来事があった。
震災から2年4か月となる月命日の7月11日、当時の町長以下職員40人が犠牲になった大槌町の旧役場庁舎前に、新しい献花台ができた。五城目町は「木工の町」。町民有志が地元産のケヤキ材で造り、寄贈した。
一方、被災して営業を休んでいた大槌町の浪板観光ホテルが8月30日、「三陸花ホテルはまぎく」と改名し、約2年半ぶりに営業を再開した。月命日の9月11日、五城目町の老人クラブから47人が訪れ再開を祝福した。
ホテルは風光明媚な浪板海岸に1973(昭和48)年に開業。夏の海水浴シーズンを中心に観光客が訪れ、地元の人たちは「ナミカン」と呼んで親しんできた。皇族とのつながりでも知られている。天皇、皇后両陛下が1997(平成9)年に大槌町で開かれた「全国豊かな海づくり大会」に臨席されて宿泊。その後、秋篠宮さまや、紀子さまが泊まられた。美智子さまは、海岸に咲いたハマギクを気に入られ、種を取り寄せて御所にまかれた。
ハマギクの花言葉は「逆境に立ち向かう」。関係者の決意を秘めたホテルの再出発だった。社長の千代川茂さん(59)はこう話している。「五城目町の方々とのご縁を大事にし、これからも、おもてなしの心を大切にしていく」
(大槌町総合政策課・但木汎)
連載【岩手・大槌町から】
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