医師団はだんまり「これは政治の問題だ」
アラファト議長の死は、当時から謎だらけだった。イスラエルがパレスチナを攻め、議長の求心力が衰えていた時期で、当時のイスラエルのアリエル・シャロン首相は議長との交渉には応じない強硬姿勢を示していた。そのさなかの2004年10月12日に議長が「食事から4時間後に脱力感に襲われ、おう吐や腹痛を起こした」という。
主治医は「インフルエンザ」と診断したが症状は悪化し、その後エジプトやチュニジア、ヨルダンといった中東の隣国から医師団を呼び寄せるが一向に改善しない。その後、フランスに移送されて治療を受け、いったん症状が収まったかに見えたがこの間も毒物使用の可能性には一切触れられなかったそうだ。快方へ向かう決定的な治療にはつながらず11月11日、議長は息を引き取った。
医師たちはポロニウム使用の可能性を疑わなかったのか。アルジャジーラは、議長を診断した主治医や、エジプトやチュニジアから来た医師団に取材を試みるが、ことごとく断られる。その弁解は、「これは政治の問題だ」と何らかの圧力をにおわせたり、軍から口止めされたりときな臭さが漂う。さらに、詳しい調査をしようと議長夫人の協力のもと、病院が採取していた議長の血液や尿のサンプルを入手しようとしたところ、通常は最低10年保管されているはずが死去から4年後には廃棄されていたという。
議長の遺品となった歯ブラシからポロニウム210を検出したという研究者は、歯ブラシがケースに納められていたうえカバンの中に入っていたことから、「自然にポロニウムに触れたとは考えにくい」と指摘した。さらに、議長がフランスの病院に移送される際にかぶっていた自前の帽子の内側からもポロニウムが見つかっている。誰かが意図的に付着させたとしか考えられない。死後10年が経過し、調査は進んでいるもののミステリーは解明されないままだ。