大槌町が被災地であることを忘れてしまうような日がある。年1回の秋祭りの日。2013年も、9月21日から3日間、鎮魂の祈りと復興への希望を託した大槌祭りに、町全体が燃えた。神社の神輿渡御(みこしとぎょ)に、20を超える郷土芸能団体が加わり、演じる人も、見る人も、一体となって楽しんだ。
大槌祭りは、安渡(あんど)地区の大槌稲荷神社と、町方(まちかた)地区の小鎚神社の二つの神社の例大祭の総称。大槌稲荷神社の宵宮(よいみや)、小鎚神社の宵宮と神輿渡御の順番で繰り広げられた。
圧巻は23日の小鎚神社の神輿渡御。ご神体を乗せた2基の神輿が繰り出し、鹿子踊、神楽、虎舞などの団体が神輿を挟んで長い行列をつくり、かつての中心市街地を練り歩いた。午前9時から夕方の5時までの渡御で、神輿が休んだ町内の御旅所(おたびしょ)は11か所。それぞれの場所で、郷土芸能の団体が順番に演舞した。
大槌町内の郷土芸能団体のうち18団体が町郷土芸能保存団体連合会に加盟している。町内のそれぞれの集落で、親から子、子から孫へと伝承されてきた。江戸時代に創作されたとされる吉里吉里虎舞講中のように町の無形民俗文化財に指定されているものもあれば、城山虎舞のように平成に入ってから活動を始めた団体もある。
国学院大教授の茂木栄さん(62)と、御嶽山(おんたけさん)御嶽神明社(しんめいしゃ)禰宜(ねぎ)の佐藤一伯(かずのり)さん(44)は、大槌町の郷土芸能を調査研究している。祭りを鑑賞した茂木さんは「独自色が濃い地域が競い合い継承されてきた」と分析し、佐藤さんは「震災後、祭りは、復興に向けて町民が心を一つにする場になっているように感じました」と話した。
大槌町内の仮設住宅に住む宮大工の小石幸悦(こうえつ)さん(66)は、長男の幸輝(こうき)さん(32)とともに、震災後4基の山車を制作した。震災で失われた中須賀(ながすが)大神楽、城内大神楽、吉里吉里大神楽、雁舞堂七福神(がんまいどうしちふくじん)の山車だ。
小石さんは中心市街地に住んでいて被災し、母親、姉、おいを失くした。仕事場も津波に襲われ、道具類はほとんどが流された。山車の注文に応じられる状況ではなかった。でも、小石さんは、こう考えた。祭りはまちを元気にする。地域再生、復興への足がかりになる。何としても山車を造って祭りを盛り上げようと。
すべての山車が総ヒノキ造り。彫刻、屋根の銅板葺(ぶき)まで、親子で手がけた。中央部が弓型で、左右両端が反り返った唐破風(からはふ)作りに、四方千鳥の屋根を組み合わせた山車は、奈良や京都で修業して身に付けた技術が生かされた。祭りに加わり、自ら山車を引いた小石さんは「これからも、持っている技術を生かし、まちを元気づけたい」と語った。
小鎚神社には神輿の担ぎ手による「社人会(しゃにんかい)」という団体がある。固定したメンバーは15人ほど。神輿渡御では、全国からの応援組が加わり、108人で神輿を担いだ。担ぎ手は募集され、衣装は神社で準備された。交代して担ぐとはいえ、途中で走ったり、神輿をぐるぐる回したりするため、肉体的に楽ではない。「大槌を離れていても、祭りには戻ってきて担ぐ人が少なくない」と社人会会長の三浦順さん(40)。
昨年、初めて応募した埼玉県上尾市の大学4年生鈴木健太さん(23)は「3年担がないと御利益がないというので今年も参加しました」と話し、町役場の応援職中村彬良(あきら)さん(24)は「つらかったけれど沿道の声援で頑張れた」と語った。
町方地区の土地区画整理事業の本格化に伴い、近く盛土工事が始まる。神輿が、現在のコースを練り歩くのは、今回で最後。小鎚神社宮司の松橋知之さん(44)は「祭りを続けるのが私の役目。来年は、工事中でも、可能なルートで神輿を繰り出したい」と話している。
(大槌町総合政策課・但木汎)
連載【岩手・大槌町から】
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