みずほ銀行が暴力団員らへの融資を放置していた問題で、みずほフィナンシャルグループ(FG)の社長で、みずほ銀行の佐藤康博頭取は2013年10月8日の記者会見で、問題となった融資取引を、佐藤頭取自身や当時の西堀利頭取(すでに退任)が把握していたことを明らかにした。
これまで同行はコンプライアンス担当の役員で情報を止め、「頭取らには報告していなかった」と説明をしていた。
「取引を報告していた資料が見つかった」
みずほ銀行の佐藤康博頭取は10月8日の記者会見で、これまでの経営トップに問題融資の情報があがっていなかったという説明は事実と異なり、当時の西堀利頭取が暴力団員への融資問題を認識していたことを確認したと述べた。金融庁にも自主的に報告していたという。
しかも、佐藤頭取自らが出席していた2011年7月のみずほFGの取締役会などで問題の融資についての報告資料が提出されていたことなどから、「私自身も知りうる立場にいた」と明かした。
この日の会見で佐藤頭取は今後の原因調査や再発防止策のとりまとめなどに全力で取り組むことを理由に産業競争力会議の民間議員を辞任する考えを明らかにしたが、9月27日に金融庁から業務改善命令が出されたときからの説明がウソだったこともわかった。
そもそも、反社会的勢力との関係は決して小さな問題ではない。それにもかかわらず、多くのメディアが業務改善命令のあった9月27日に記者会見を求めたのに対して、日銀クラブ(記者室)を訪れたみずほ銀行の広報担当者は概略をまとめた文書を配っただけ。記者から詳しい経緯を質問されても、「答えられない」と繰り返した。
佐藤頭取が口を開いたのは29日。記者団の取材に対して、陳謝するとともに「反社会勢力との取引が重大な問題との認識が欠けていた」「(自身に)責任がないとはいえない」と話すにとどまっていた。
記者会見は10月4日。このときは、みずほFGの岡部俊胤副社長が出席し、最初に把握したのは当時の代表取締役副頭取(現在は退任)だったと明かしたが、元副頭取ら担当役員が不正を放置し続けた理由など、問題の核心についてはふれず、頭取には報告していなかったとしていた。
経営幹部が問題融資を把握しながら放置していたことに変わりはないが、発覚から10日以上経って「頭取が報告を受けていた」では、コンプライアンスを軽視する、みずほ銀行の経営体質そのものが問われる事態だ。
業務改善命令でトップが代わる?
みずほ銀行は、1997年に前身の旧第一勧業銀行が総会屋への不正融資に伴う利益供与事件で当時の役員ら11人が起訴された。日本興業銀行と富士銀行、第一勧銀の「3行統合」でみずほ銀行になっても、発足時に大規模なシステム障害を引き起こし、2011年3月には東日本大震災の被災地への義援金をめぐってシステム障害が発生。3月14日~22日まで、たびたびATMやインターネットバンキングが止まった。
いずれも金融庁からの業務改善命令を受けている。
2011年3月の大規模なシステム障害で、みずほ銀行の西堀利頭取(当時、旧富士銀行出身)は、「社会インフラを担う銀行として、あってはならないトラブル」と陳謝したが、この時すでに今回の問題融資があったことを把握していた可能性がある。
みずほの経営で常に指摘されていたのが、旧3行の「覇権争い」。その反省から、みずほ銀行は13年7月、みずほコーポレート銀行とみずほ銀行が合併。新生・みずほ銀行として「ワンバンク体制」になった。
ちなみに、佐藤康博頭取は興銀出身で2009年にみずほコーポレート銀行頭取、11年には大規模なシステム障害で引責辞任した塚本隆史みずほFG社長(旧第一勧銀出身)の後任として社長を兼任。新生・みずほ銀行の発足に伴い頭取に就任した。
ただ、今回の融資問題で、金融庁の業務改善命令には「問題発生時以降、現在に至るまでの経営責任を明確化すること」が記されており、佐藤頭取も「当時の担当役員や関係者を厳しく処分する」としている。