9月20日未明、いわき市を直撃した震度5強の地震でわが家の奥、義弟の家のブロック塀が一部壊れた(=写真)。塀をはさんだ隣は2階建てのアパートだ。わが家の生け垣が視界を遮っていて、アパート側にブロックが落下したのを知らなかった。アパートの大家さんに言われて初めてわかった。
きのう(9月25日)夕方、ようやく後片付けをした。壊れて落下したのは上の2段、ブロックの数はざっと40個。1個ずつ運びだし、ネコ(一輪車)に2~3個のせて、わが家の庭の空きスペースに運んだ。空きスペースといっても、3・11に半壊し、解体した「離れ」のあとだ。
コンクリートのかたまりだけに、ブロックは1個1個がズシリと重い。35年前の昭和53(1978)年6月12日夕に発生した「宮城県沖地震」では、同県内でブロック塀が倒壊し、児童ら18人が下敷きになって死んだ。3・11ではさいわい、わが近辺では塀が倒れても下敷きになる児童などはいなかった。それから2年半後の塀の損壊だ。
アパート1階の最寄りの部屋に住むのは、浪江町から避難してきた老夫婦。カミサンとは先刻承知の間柄だが、今度また帰宅を断念していわき市内に家を新築中なのを知った。ブロックを運んだネコは、同じく大熊町から近所の戸建て住宅に避難してきた老夫婦から借りたものだ。ずっと前にネコを2台買ったからと、1台を持ってきた。
隣人になった避難者に迷惑をかけ、避難者に助けられている――ブロックを運びながら、そんなことを思った。
戸建て住宅のおばさんからはときどき、野菜や漬物、煮物などが届く。先の日曜日には、カミサンがニンニクを借りに走った。カツオの刺し身を買ってきたものの、ニンニクを切らしているのを忘れていたのだ。懐かしいほど普通に助け合う関係が、3・11後にたまたま生まれた。
それはともかく、ブロックの小山をどうしよう。市役所に電話をしたら災害ごみとして仮置場に搬入することができるという。乗用車で運べる代物ではない。庭の縁石などに利用できないかどうか、そんなことを考えたりしている。
(タカじい)
タカじい
「出身は阿武隈高地、入身はいわき市」と思い定めているジャーナリスト。 ケツメイシの「ドライブ」と焼酎の「田苑」を愛し、江戸時代後期の俳諧研究と地ネギ(三春ネギ)のルーツ調べが趣味の団塊男です。週末には夏井川渓谷で家庭菜園と山菜・キノコ採りを楽しんでいます。
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