津波で甚大な被害を受けたいわき市平豊間地区でも、高台や山際、浜辺の国立病院機構いわき病院前など、何軒か家の残っているところがある。その1軒が旧道をはさんで病院と向かい合っている米屋(中屋)さんだ。
震災直後、店のシャッターに「がんばっぺ! にっぽん とよま人/とよまのトドロ ナカヤ」と手書きし、住民を鼓舞しながら、大災害に負けない意気地を示した。横のレンガの壁には「がんばっぺね! とよま なかや」」の文字(=写真)。この「がんばっぺね!」を見るたびについ口元がゆるむ。
3・11後、豊間に取材に入ったマスメディアや個人がネットなどで報じたから、<ああ、あれか>と思いだす人もいることだろう。若い友人が中心になって編んだ写真集『HOPE』(2011年5月=いわき市海岸保全を考える会刊)には、店頭で右手を握りしめ、ガッツポーズをしている若い主人が掲載されている。
彼の近所に40年来の友人(大工)がいる。ガレキ撤去が進み、日曜日だけ旧道を通れるようになったころ、大工氏の作業所を訪ねた。彼がたまたま自転車で遊びにやって来た。カミサンとは同業でもあり、初対面とは思えないほど親しく言葉を交わすことができた。
脚本家倉本聰さん率いる劇団富良野グループが、去年、今年と3月11日に豊間海岸で津波犠牲者の鎮魂と復興のキャンドルナイトを主催した。友人ら生き残った地元の若手が中心になって「とよま龍灯会」を結成し、イベントに協力した。米屋さんも龍灯会の一員として奮闘した。
「がんばっぺね!」の終助詞「ね」に彼の温和な性格が出ている。相手をいたわり、思いやり、包み込む。シャッターの方も、「となりのトトロ」をもじった地名「とよまのトドロ」(豊間字兎渡路)に、強い物言いを避ける彼の人柄がにじみ出ている。「ナカヤ」の店主を知ったからこその感想だ。
3・11から2年半がたったあと、吸い寄せられるようにして海岸道路をドライブし、「がんばっぺね!」の前に立った。慰められたかったのかもしれない。
(タカじい)
タカじい
「出身は阿武隈高地、入身はいわき市」と思い定めているジャーナリスト。 ケツメイシの「ドライブ」と焼酎の「田苑」を愛し、江戸時代後期の俳諧研究と地ネギ(三春ネギ)のルーツ調べが趣味の団塊男です。週末には夏井川渓谷で家庭菜園と山菜・キノコ採りを楽しんでいます。
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