トヨタ自動車の最高顧問で「中興の祖」とされる豊田英二氏が9月17日、100歳で死去し、マスコミは英二氏の功績を破格の扱いで報じた。
だが、英二氏の現役時代の活躍を知る人は、かなりの年配者に限られるだろう。英二氏の業績とは?そして今も引き継がれる「豊田家」のDNAとは?
悲願だった自工と自販の合併を成功させる
英二氏は創業家出身の社長として、高度経済成長期に大衆車からスポーツカー、高級車まで乗用車をフルラインで生産する今日のトヨタの基盤を作った人物だ。今日、トヨタがヴィッツ、カローラといった大衆車から、86(ハチロク)といったスポーツカーやレクサスという高級車を生産する総合デパートのような大メーカーになったのは、英二氏の功績が大きい。そう解説すれば、今の若い読者にもわかってもらえるだろうか。
英二氏は東大工学部出身の開発技術者として1955年発売の初代クラウンの開発に携わった。副社長時代の66年に初代カローラを発売、今日のトヨタの基礎を築き、67年にはトヨタ自動車工業(当時)の第5代社長に就任した。
ちょうど日本は、モータリゼーションの時代に突入していた。カローラは日産サニーなどライバルに打ち勝ち、その後のコロナマークⅡ(現マークX)、セリカなどヒット車を生むきっかけとなった。
工場では、コスト削減など徹底してムダを省く「トヨタ生産方式」を築いたほか、米ゼネラル・モーターズ(GM)との米合弁生産交渉を進めるなど、グローバル化でも貢献した。
82年、悲願だったトヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売の合併を成功させ、トヨタ自動車の会長に半歩退いたが、1994年までトヨタの取締役として活躍した。