安倍晋三内閣が賃金引き上げに入れ込んでいる。デフレ脱却のためには、企業収益の回復が雇用拡大と賃金アップにつながり、消費が拡大して持続的成長軌道に乗る、という好循環が不可欠という認識からだ。
2013年9月20日には経済界、労働界の代表を集めた「政労使会議」を発足させた。3者の思惑が微妙に食い違う中、どこまで実のある議論ができるだろうか。
消費税アップは企業減税と低所得者対策で
20日の「政労使会議」の初会合には経済界から米倉弘昌経団連会長、岡村正日本商工会議所会頭、鶴田欣也全国中小企業団体中央会会長ら、労働界からは古賀伸明連合会長らが参加した。安倍首相は「成長の好循環実現のための課題について共通認識を醸成し、課題解決に政労使それぞれが取り組みを進めていきたい」と労使に成長戦略への協力を訴えた。
政府の狙いははっきりしている。安倍内閣は異次元の金融緩和と財政出動で円安と株高を演出し、全体として企業収益は上向き、経営者のマインドは大きく好転。物価も上昇傾向に転じ、デフレ脱却が見通せるところに来たというのが大方の見方だ。ただ、物価は円安による輸入品の上昇が目立ち、「悪い物価上昇」も懸念される。そこで、需要の拡大による「良い物価上昇」にするには、雇用拡大や賃金アップによる個人消費の拡大が必要になる。
このため、政府は企業を支援することで賃上げにつなげるシナリオを描き、来年4月からの消費税率8%への引き上げを10月1日に首相が表明する際に、低所得者への手当支給などとともに、企業減税を経済対策の柱として打ち出す。具体的には、賃上げなどで人件費を前年度より増やした企業の法人税軽減の拡充(賃上げ減税)に加え、法人税本体についても復興増税分を1年前倒しで2014年度から廃止することが固まった。
ただ、消費税増税と法人税減税をセットで実施することは「企業優遇」と批判されかねないことから、「雇用拡大・賃金引き上げ」をことさら強調したいという事情もある。
連合など労組側は、経済界に賃上げを求める首相の発言は"追い風"ではあるが、仮に賃上げする企業が増えても、安倍首相の手柄とされるのではたまらないという思いもある。また、非正規雇用の割合が高まる中で、連合などは正社員中心の労組が多くを占めるとあって、政労使のテーブルに着けば解雇などの労働規制の緩和議論に巻き込まれるとの懸念も根強かった。
このため、20日の会議の際も、古賀会長は「持続的な経済成長のためには、非正規雇用労働者や中小企業労働者の格差是正が重要だ」などと、非正規労働者の処遇改善をまず政府に求めるなど、微妙な距離感を感じさせた。
経済界は「競争条件の同一化」要請
一方、企業側は、20日の会議後、米倉経団連会長が「企業の収益改善により、従業員の労に報いることが可能な環境になりつつある。景気の回復に伴って順次、報酬の改善に取り組みたい」と賃上げに一定の理解を示し、安倍政権との協調姿勢を強調。「賃金水準は個々の企業の支払い能力に応じ、労使間で決めるもの」(米倉氏)という国の介入に否定的な本音はひとまず封印した。
だが、本格的な人件費アップに極めて慎重な経済界の基本姿勢に変化はない。実際、21世紀になって以降は国際競争力低下を嫌って、賃金水準全体を底上げする「ベースアップ(ベア)」を行わない流れが定着。首相が今年の春闘で賃上げを呼び掛けた際も、ボーナスではトヨタ自動車などが満額回答するなど増額が相次いだものの、ベアを実施したのはイトーヨーカ堂やローソンなど大手流通業の一角にとどまったように、「経済成長し、企業収益が増えて初めて賃金が上がる」(岡村日商会頭)と、過剰な賃上げ期待にはしっかりクギを刺す。その傍ら、米倉会長が「大胆な規制改革やイコールフッティング(競争条件の同一化)の実現を政府が推進してほしい」と注文を付けたように、法人減税や労働規制緩和を期待している。
安倍政権は、長期安定政権にデフレ脱却が不可欠として、企業減税の大盤振る舞いまでして賃上げへの好循環につなげようと躍起になっている。政府内では、賃上げを確かなものにすべく減税分の使途公表を経済界に求めるとの議論まである。さすがに、「そこまでやれば社会主義で、あまりに筋が悪い」(経済産業省筋)との批判もあるが、「首相は案外本気」(政府関係者)との声もある。
いずれにせよ、せっかくできた政労使が一堂に会する場だけに、目先の賃上げだけでなく、非正規雇用の増加や格差拡大という社会の在り方にもかかわる構造的な問題にも視野を広げた腰を据えた議論が求められる。