稲刈りは晴天の下で行われた
=2013年9月24日、大槌町小鎚の小鎚第5仮設団地
岩手県大槌町に、津波に耐え、「奇跡のコメ」と呼ばれる水稲がある。津波で大槌町安渡地区に流れ着いた種もみが、その年の秋に、がれきの中で、3束の稲を自生させた。昨年、5.5キロの種もみが収穫され、今年は、その10倍ものコメが実った。関係者は、「安渡産大槌復興米」として、市場に出荷できる日を夢見ている。
震災が起きた2011年秋、安渡地区に住んでいた菊池妙さん(72)は、津波で流された自宅玄関脇で、自生している稲を見つけた。安渡地区は漁師町で、水田はほとんどない。津波で、どこからか流れてきた種もみから実ったらしい。
潮をかぶったせいか、背は低く、やせ細っていた。菊池さんは、このコメを復興のシンボルにできないかと考えた。刈り取って「安渡産大槌復興米」と名付け、150株の苗を作ることに成功した。昨年秋、この苗から5.5キロの種もみを収穫することができた。
今年は、この種もみから育てた苗を、約1000平方メートルの広い田んぼに移して田植えをした。地元の人たちや、被災地を支援している岩手県遠野市の「遠野まごころネット」のボランティアの人たち約30人が、5月25日、素足で田んぼに入り、手植えをした。そして、秋の収穫期を迎えた9月24日、ボランティアや地元の人たちが鎌で刈り取り、はさがけして天日干しした。実ったコメは約500キロ。大半は、来年の作付用種もみとして残すことにしている。
コメ作りを指導している「遠野まごころネット」の農業鈴木一彦さん(61)は「ブランド化して全国に発信し、復興のシンボルにしたい。稲の品種も調べたい」と話す。
大槌町の仮設住宅に暮らす菊池さんは、こう語っている。「よくぞここまで育ってくれました。おコメに勇気と希望をもらいました」。菊池さんは、津波に耐えて育った稲に感動して、こんな詩を作った。
お米さん、初めまして。
貴方は何処から流れて来たのですか。
よく無事で、そして、塩害の中
我が家の玄関に生き延びてきましたね。
背は低くやせてこそおりましたが、
その姿は、がれきの中に一際、凛としていましたよ。
言葉にならない感動で、
涙がとめどもなく、こぼれ落ちました。
私は菊池妙と申します。
貴方には復興米と名付けましたよ。
お互いに助かった命を、大切に明るく、
ゆっくりゆっくりでいいのです。
転んでは起き、また、転んでは起き
生きて行きましょうね。
秋には貴方の子孫が黄金の実を付け
生まれます様に、
沢山の方々が努力をしてくださっています。
力強い希望の証を授けてくださって、
ありがとうございました。
(大槌町総合政策課・但木汎)
連載【岩手・大槌町から】
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