「死んだ人とお話しできるんですか?」【岩手・大槌町から】(13)

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復元、納棺した子どもたちを絵日記で振り返る笹原留似子さん=2012年1月7日、岩手県北上市内の事務所
復元、納棺した子どもたちを絵日記で振り返る笹原留似子さん
=2012年1月7日、岩手県北上市内の事務所

   復元・納棺師の笹原留似子(るいこ)さん(41)は、遺体の復元と死化粧のために必要な用具が入ったカバンを、いつも持ち歩いている。口紅、ほお紅、マニキュア、クリーム、ブラシ、脱脂綿などが入っている。白衣に医療用手袋を着用し、用具を駆使し、作業する。


   硬くこわばった顔をマッサージでほぐす。傷口の凹凸を脱脂綿とクリームで正す。まつ毛、眉毛を復元する。10種類以上の化粧品を塗り重ね、ほお紅、口紅で整える。作業は時間との闘いでもある。損傷がなく、死後3~5日なら、20分程度で終わる。1週間も経つと、厳しい作業になる。震災から43日後に見つかった遺体の復元には、3時間かかった。


   復元は表情をつくるのではない。死者にほほえみえを取り戻す作業だ。心の中で死者に呼びかけ顔に触れる。自然に手が動く。笑いじわが出てきたり、目のたれ具合や鼻の高さ、眉毛の位置がわかったりする。日々、人形で復元の技術を磨き、表情を探り当てる手は、安置所で、「ゴッドハンド」と呼ばれた。

   遺族からよく聞かれる。「死んだ人とお話しできるんですか?」。こう答える。「話はできないけど、亡くなってからも、ご本人が教えてくれることが、いっぱいあるんですよ」


   笹原さんには応援する人たちがたくさんいる。震災直後にボランティア組織「つなげるつながる委員会」を作り、自身のブログで活動を知らせ、全国に支援を求めてきた。求めに応じて、支援物資が殺到した。震災直後から約1カ月間で、1800個の段ボール箱が届いた。福島県から埼玉県に避難した小学生の男の子からは「お小遣いで買いました。亡くなった人の復元に使って下さい」という手紙とともに、150円の脱脂綿50グラムが届いた。

笹原留似子さんの著書「おもかげ復元師」と「おもかげ復元師の震災絵日記」
笹原留似子さんの著書「おもかげ復元師」と「おもかげ復元師の震災絵日記」

   北海道で巫女(みこ)になり、ホスピス病棟で医師や看護師長の秘書として末期患者をみとり、復元納棺師の道をたどった。被災地での復元、納棺は、過去に体験したことのない日々だった。気持ちが滅入り、落ち込むと、スケッチ帳に向かった。復元、納棺した人たちの表情を水彩で描いた。下書きはせずに、1人を5分ほどで描いた。他人に見せるための絵日記ではなかった。描いているうちに自分を支えてくれる絵日記になった。


   絵日記には、一人、一人に次のようなコメントを記した。

「生後10日目の赤ちゃん。言葉が話せなくなったお父さん。復元後のあなたを見て、床に頭をつけて、大きな声で泣いたよ。やっと泣けた。そう言ってあなたに触れたね」
「17歳、女の子。守れなくてごめんな。お父さんが泣いた。そんなこと、この子は思っていないよ。おばあちゃんが言った。おれの孫に生まれてきてくれてありがとうな。おじいちゃんが言った。限られた時間だけど、家族の、この子だけの大切な時間」

   笹原さんの被災地での活動は、約半年間で終わった。社会に貢献した人をたたえる2011年度の「シチズン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれ、2012年1月30日、東京都内で行われた表彰式で、こうあいさつした。「お別れの場で、陰でお手伝いした。遺族の深い悲しみが、勇気に変わりますように」(大槌町総合政策課・但木汎)


連載【岩手・大槌町から】
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