「別荘の一つで拘束され、間もなく自宅で一族と共に銃殺の憂き目にあった」
13年7月に出版された北朝鮮専門記者の著書では、別の見方だ。この著書は、07年から12年まで朝日新聞のソウル特派員を務めた牧野愛博記者の「北朝鮮秘録」(文春新書)。
「1月下旬、『将軍様が2人で食事をしたいとおっしゃっている』という連絡を真に受けた柳敬は、訪れた特閣(別荘)の一つで拘束され、間もなく自宅で一族と共に銃殺の憂き目にあった」
といったように、あらゆるエピソードが詳細に描写されているのが特徴だ。
同書によると、韓国政府は、柳敬を罠に陥れたのは「張成沢しかいない」と分析しているという。
張成沢氏は非常に有能な人物だとされ、金正日氏もその存在を恐れていたようだ。そのためか、金正日総書記は保衛部と朝鮮労働党に対して、張成沢氏を見張るように命じていたという。保衛部の事実上のトップが柳敬氏で、党の側で監視の特命を受けていたのが党組織指導部第1副部長を務めた李済剛(リ・ジェガン)氏だ。李済剛氏は、柳敬氏が失脚する半年も前の10年6月に「交通事故」で謎の死を遂げており、書籍では
「そして次の標的になったのが柳敬だった。いわば、張成沢の政治闘争の犠牲者と言えた」
と結論付けている。つまり、党のキーパーソンに続いて保衛部のキーパーソンが失脚し、張成沢氏が政敵を2人も「消した」と受け止められている、ということだ。11年12月金正日氏が死去し、正恩氏の体制が不安定な今、張成沢氏が権力を「独り占め」しているのに近い状態ではないかと見る向きが多いようだ。