まさに怪人。ヤクルトのバレンティンがホームランを打ちまくっている。こんなに量産する打者だったのか、と驚く。どう変身したのか。
3戦連発で一気に55本到達―まだ残り22試合
シーズン55本塁打は、1964年に王貞治が記録し、その37年後、2001年にローズ、2002年にカブレラが並んだ。しかし、この数字の話になると、どうしても「王の記録」となる。それは、王は「日本球界の象徴」であり、「本塁打の象徴」だからである。
この聖域にまたひとり、バレンティンが踏み込んだ。
王は「いずれ破られる」と落ち着いているのだが、王時代を知るファンは心中穏やかではないだろう。たとえばゴジラ松井に更新されるのなら納得するだろうけれども、日本球界3年目の外国人選手に新記録を達成されるとなると、ちょっと待てよ、ということになるのが心情だ。
バレンティンは日増しに募るプレッシャーにもかかわらず、53号、54号、55号と3試合連続で打った。と同時に、日本の投手たちのだらしなさも浮き彫りにされた。
54号は広島のエース前田健から奪った。追い込みながらカウント1-2からの4球目を外角高めに投げて引っかけられた。速球で空振りを、との投球だが、このようなバットが届くコースに投げるのは「おごりの1球」でしかない。このへんが楽天の田中と大きく異なるところである。
続く55号は同じく広島の大竹から。6-0と大量リードしながら勝負にいって予想通りやられた。「相手が上だった」と大竹は言ったが、野球人ならだれでも首をかしげた投球だろう。
バレンティンは55号までセ・リーグ球団から45本(パとの交流戦で10本)打っているが、広島の投手陣は14本も献上している。30%というお得意さんだ。
バレンティンは2011年に来日、昨年まで2年連続ホームラン王になっている。ともに31本でのタイトルだ。今年は倍増に近い。
やはり「飛ぶボール」が後押しているのは間違いないだろう。昨年までは反発力を押さえたボールを使用。ところが今シーズンはシーズン中に「今年は飛ぶボールを使っている」と日本野球機構が認めたいきさつがある。
加藤コミッショナーはバレンティンの記録更新が現実味を帯びてくると、こう言った。「飛ぶボールの問題ではない。バレンティンが素晴らしい」と。この後、間違いなくバレンティンのホームランと飛ぶボールはセットで問題になるのは必至で、先手を打ったのだろうが、相変わらず責任意識が希薄だ。
今季のバレンティンは投球を手元まで引き寄せて打っている。このため選球眼がよくなり、悪球に手を出さなくなった。それが本塁打数だけではなく、高い打率をキープしていることにも表れている。決して「飛ぶボール」だけに理由があるわけではないが、バットをシンに当てさえすればパワーと弾きのいいボールで飛んでいく。
かつては平然と「外国人差別」
プロ野球OBの多くは日本人投手の意地のなさにあきれかえっているだろう。王が記録を作った巨人でさえ3番目に多い8本も打たれている。それも記録が話題になった8月に6本も許した。さすがに原監督が「打たれすぎだ」と苦言を口にしたほどだった。
王が55本を記録した翌年の1965年、南海の野村克也は三冠王を目指していた。ライバルは阪急のスペンサーという怪力の元大リーガー。両者が本塁打で争っていたとき、南海はおろか他チームの投手までスペンサーを敬遠責めにした。「よその人(外国人選手)にタイトルは取らせることはないさ」と主力投手たちは平然と言ってのけたものである。このデッドヒートは、シーズン終了間際にスペンサーが交通事故で戦列を離れるという思わぬ幕切れを迎えた。結果、野村は戦後初の三冠王に輝いた。もし事故がなかったら騒ぎは大きくなっていただろう。
外国人選手は成績を残さなければ大きな契約を取れない。ここは日本選手と大きく異なるところだ。以前は来日外国人選手の中に、必ずボス的存在がいた。大リーグで実績を上げた選手が元締めになるケースが多かった。
そのボスが「日本球界で長くプレーできるコツ」を指南する。これは大事なことで、多くの選手が寿命を延ばした。バレンティンのケースは、昔なら「王の記録は抜くな」とアドバイスしていたかもしれない。しかし、残り22試合もある。よほどのことがない限り、まもなく48年間守られた「聖域」は破られることになるだろう。
(敬称略 スポーツジャーナリスト・菅谷 齊)