高橋洋一の自民党ウォッチ
官邸のお役人が「半沢直樹」みたいに上司へ啖呵切れない理由

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   日曜夜のTBSドラマ「半沢直樹」は痛快なドラマだ。サラリーマンであれば、人事がすべてであり上司に倍返しと心の中で思っても、表向きはゴマすりに徹するのは日常茶飯事だ。

   筆者は今でこそ霞が関官僚の反抗者のようにいわれるが、2001年に米国プリンストン大から帰国するまでは、ちょっと変わり者だがいたってノーマルな役人人生を歩んでいた。人事も思い通りだったし、役所の上司に逆らったことなどなかった。

政治任用は「片道切符」

   ただ、ひょんなことから、プリンストン大で米国流学問の世界に惹(ひ)かれ、帰国後に内定していた(それなりによかった)本省課長ポストを振ってしまった。

   その結果、翌年に帰国したときには、国交省課長に出向させられた。民間であれば、ドラマ「半沢直樹」の銀行員のように40歳を過ぎての出向は片道切符である。要するに出向は銀行員でなくなることを意味して、ショックだろう。役人の出向は片道切符ではないものの、コースから外れたのはたしかだ。

   そんな時、小泉政権で竹中平蔵大臣から「ちょっと手伝ってくれないか」との依頼があった。これは事実上政治任用だ。政権の中枢に行くので、仕事は格段に面白くなるが、財務省の人事システムから外に出ることになる。いってみれば、政治任用で格上げになるが、片道切符というわけだ。

   その後、小泉政権と安倍政権の官邸などで働いた。役人として官邸勤務は名誉であり、政治任用でない往復切符なら出身省に凱旋帰省できただろう。ただ、筆者の場合には官邸で終わりで、後は自分で職を探さなければいけない。往復切符なら財務省に戻ってから役人を続けることも出来たし、辞めたとしても天下り斡旋をしてくれただろう。

官邸の座席表には、名前の他にみな背番号

   片道切符で官邸に入って独り身で仕事をしていると、不思議と上司や親元だった財務省にも意見を言えるようになる。退職後の面倒を見てもらわないからだ。

   そんな筆者を見て、何人かの若手官僚が一緒に仕事させてくれといってきた。その時、本当に一人で生きているか、片道切符で大丈夫かと聞いた。片道切符は気持ちだけではダメで、筆者は具体的な三つのチェックポイントでみた。

   第一に博士号をもっていること。これがあれば大学への就職は容易だ。第二に司法試験や公認会計士試験に受かっていること。ちょっと研修、実習を受ければ弁護士や公認会計士になれる。第三に奥さんの稼ぎだけで食っていけることや実家が裕福で生活の心配がないこと。いざというときにこうした家族の支えは重要だ。

   普通に官僚をやっていて少しくらいの知識があっても、官僚の肩書きを外せばただの人だ。上の3条件の1つくらいをクリアしていないと、片道切符に耐えられない。結局、親元役所の支配下になってしまって、親元の顔色ばかりをみてしまう。

   実際、今の官邸に来ている役人は、みな背番号・座布団をもっている。背番号・座布団とはどこの役所出身で何年入省か、どこの役所が出向している役人の給料を払うかだ。官邸の座席表には、名前の他にみな背番号が記載されている。

   官邸の役人は、官邸内の上司には一定の意見が言えるだろう。自分と親元と違う省の出身者だからだ。ただし、親元の省の上司には頭が上がらないだろう。もし楯突いたら、戻るときに覚悟しろといわれてしまうからだ。上司にさからえるかどうかで、その人の真の実力がわかるだろう。


++ 高橋洋一プロフィール
高橋洋一(たかはし よういち) 元内閣参事官、現「政策工房」会長
1955年生まれ。80年に大蔵省に入省、2005年から総務大臣補佐官、06年からは内閣参事官(総理補佐官補)も務めた。07年、いわゆる「埋蔵金」を指摘し注目された。08年に退官。10年から嘉悦大学教授。著書に「財投改革の経済学」(東洋経済新報社)、「さらば財務省!」(講談社)など。


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