薬物中毒で「下着一枚で道路に出ていくことも」 兄が明かす華原朋美の「どん底」

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   歌手活動を再開した華原朋美さん(38)が2013年8月24日、「24時間テレビ36 愛は地球を救う」(日本テレビ系)に生出演した。

   睡眠薬や精神安定剤などの薬物依存から抜け出し、人生をやり直すまでの道のりが放送され、VTR出演した兄の下河原忠道さんが、当事の華原さんを「顔が人じゃない」状態だったと証言する場面もあった。

「顔が人じゃない」状態だった

   華原さんは1995年に小室哲哉さんのプロデュースでデビューし、数々の音楽賞を次々と受賞するなど、短期間で人気歌手に上りつめた。24時間テレビで華原さんは、デビュー後数年を、「なんだって欲しいものは手に入るし、何だってうたったら一番。何の実力もないくせに」と自嘲的に振り返った。

   1996年3月リリースのシングル「I'm proud」は130万枚を超える大ヒット。「愛の絶頂期の歌。プライベートが楽しかったですからね。延長線じゃないですか明らかに。でもその後に地獄がちゃんと待っているんで」

   24歳のころプライベートでも親密な間柄だった小室さんと破局し、精神が不安定になり始めた。「そのころにはもうお薬もたくさん服用するようになっていた」と、忠道さんは番組VTRの中で明かした。

   その後も薬物依存はさらに悪化し続け、忠道さんによると、「フラフラ下着一枚で道路出て行ってしまうこともありました。ラムネを食べるようにボリボリと(薬物を)服用してしまう」ひどい状態だった。

   2007年6月、ついに所属事務所から解雇された。そこから忠道さん兄弟らは、「本気でどうやって薬を抜くか」を考え、閉鎖病棟への隔離を決意。「離せバカ野郎」と暴れたが、男兄弟3人で押さえ込んだ。入院しても退院直後に薬物をまた飲んでしまい、これを2、3回は繰り返したという。

フィリピンに単身赴任中の父が救った

   薬物に依存していた当事の華原さんについて、2013年8月21日発売号の『週刊文春』、エイベックス松浦勝人社長の「女とクスリ」特集でも触れられている。関係者の証言として、

「完全にラリっていて、夢遊病のように歩いている。ちょうど彼女が小室(哲哉)さんに捨てられたときだったらしく、精神的にショックでおかしくなっていたみたいで、なかば廃人のように見えました。目がトロンとして、口元もダランとゆるんで、あっち行ったりこっち行ったり」

というコメントが掲載された。

   薬物依存の華原さんの転機になったのは、フィリピンに単身赴任中の父から「頑張っていきたいと思うなら、お父さんのところにおいで」というメッセージだった。退院したその日に父のもとへ飛び、父のボランティア活動を手伝い、貧しい子供にプレゼントを届けたり炊き出しをした。そのうちにだんだんと薬が抜けていき、「自分は何をしたいんだろう。どうしたらいいんだろう」と考え、歌いたいと再び思うようになった。

   帰国後は忠道さんの経営する高齢者用住宅でボランティアを続ける傍ら、カラオケボックスでひとりで録音した自分の歌のCDを、解雇された事務所に送り続け、2012年12月に5年半ぶりに芸能界に復帰を果たした。24時間テレビでは「I'm proud」を歌い、支えてくれた家族に感謝した。

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