マスコミの衰退は、発信力の低下という意味で顕著になっている。スノーデン事件では内部告発者が漏えい先を決めただけでなく、ビデオ画像で名乗りを上げ、自身の行為を自分の言葉で説明するという前例のない情報発信を実現した。ビデオそのものはガーディアン紙のサイトにアップされたが、ウエブの世界では発信元が比較的無名でもニュースは一瞬のうちにバイラル(口コミ)で世界中に拡散する。新聞やTVはネットに流れたビデオを後追いするだけだった。
要するに記者会見を開いて、その報道はメディア各社に任せるという従来のパターンとは違い、情報源がメディアをほぼバイパス(迂回)して、納得のいく形で情報を一般の人に流すことが可能になったわけだ。
オバマ政権は犯罪者かどうかに論点すり替え
この段階でマスコミには2つの選択があった。リーク事件の本質ともいえるNSAの監視行為の是非を問う国民的な議論を促し、新事実を次々と明らかにする(ウォーターゲート事件のような報道)か、それとも本質とは無関係なスキャンダルの報道に徹するかの選択肢である。
残念ながらガーディアン紙を除けば、大半のメディアはスノーデンの行方や亡命に取材力を投入する結果になった。(わが国のマスコミも例外でなく、例えば朝日新聞は米国駐在の記者をハワイに出張させ、スノーデンが住んでいた貸家の隣人などに取材してスノーデンの生活ぶりをレポートさせている)。スノーデンが危惧していた最悪のシナリオ-国民的議論の行司役とでもいうべきマスコミが土俵に上がってこないという事態ーが現実になる。
その背景には論点のすり替えがあった。国家による国民への監視行為の是非からスノーデンは犯罪者かどうかへ、と焦点が移ってしまうわけだが、それはオバマ政権の意図するところでもあった。エリック・ホールダー司法長官は、スノーデンによる情報漏えいで「米安全保障は損なわれ、米国および同盟国の国民の安全が脅威にさらされている」と繰り返し強調した。つまりスノーデンの行為は国益を傷つける「反逆罪」だという論理である。
「フュージティブ(逃亡者)」と呼び始める
間もなくすると、マスコミはスノーデンを「フュージティブ(逃亡者)」と呼び始め、その論調は「内部告発者」から国家機密をリークした「犯罪者」へとシフトした。一方、香港に潜伏していたスノーデンはロシアに脱出し、モスクワ空港の乗り継ぎエリアで一ヶ月以上も缶詰状態になる。8月初めにロシア政府から一時亡命が認められ空港から立ち去ったが、その後の消息は謎のままだ。
スノーデンからすれば、スキャンダル報道を生業にするマスコミに媚びる理由はひとつもない。彼の人生は大きく変わってしまったが、警鐘を鳴らすという役割はすでに終わったと考えているに違いない。この立場からすれば、マスコミは煩わしいハエのような存在でしかないだろう。
米マスコミがダメになった最大理由は9・11事件
米マスコミがここまでダメになった最大の理由は9・11事件である。同時多発テロ事件の発生直後に、米議会は テロ対策などで大統領に幅広い権限を与える「対テロ武力行使容認決議(AUMF)」を採択。それを受けてブッシュ大統領(当時)は「国家非常事態」を宣言し、米国はテロ戦争-そしてアフガン戦争・イラク戦争ーへと突入する。テロ戦争はまだ終結していないので、米国は現在でも「戦時下」ということになる。つまりテロ対策という名目で国民へのスパイ行為などが合法化されてしまう可能性があるわけだ。9・11体制とは、戦時中の日本がそうであったように、マスコミを巻き込んだ挙国一致体制の代名詞であり、そこでは「国防」や「国民の安全」が最優先されることになる。
ニューヨーク・タイムズ、ウイキリークスから距離を置く
その極端な例がイラク戦争だ。エンベッド(埋め込み)従軍による報道ー大メディアの記者が兵士と肩を並べて前線に派遣され自由にレポートを許されたー。これは、巧みな報道管制でもあった。米軍兵士の視点から戦場をレポートすることであり、意識しなくても愛国的なトーンになるだろう。戦争という現実を敵味方の両サイドから捉えようとする客観性をモットーにするジャーナリズムとはかけ離れたものだった。
このような時代風潮の中で、前述したように、ニューヨーク・タイムズが盗聴がらみの特ダネを棚上げにするという常識では考えられない出来事が起き、メディアへの信頼にヒビが入った。その後、大量の機密文書や画像がウイキリークスに流出し、ニューヨーク・タイムズなどの欧米有力紙も協力して特ダネを掲載したが、オバマ政権が内部告発の取締り強化の姿勢を示すと、とたんに弱腰になり、ウイキリークスから距離を置き始めた。スノーデンが弱腰のニューヨーク・タイムズに一瞥もしなかったのは当然であろう。
このように、メディアの衰退は戦時下の米国が内側から病み始めていることの兆候ではないだろうか。スノーデン事件はその警鐘である。
在米ジャーナリスト 石川 幸憲