内部告発は新聞やテレビなどの従来のマスメディアにとって重要な特ダネ源であった。ペンタゴン・ペーパーズ事件(1971年)は、国防総省のベトナム戦争についての極秘レポートがニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストに流出し、両紙が競って一連の特ダネを掲載したことを指すが、その情報源はレポートの執筆者のひとりでシンクタンク研究員(当時)であったダニエル・エルズバーグだった。
ベトナム戦争支持から反対へと180度の方向転換を体験したエルズバーグは、国民はこのレポートを読む権利を持っていると確信。そこで面識のあったニューヨーク・タイムズ記者にリークすることで、ボールをメディアサイドに投げ入れた。
NSAリークではNYタイムズが完全に蚊帳の外
同紙の編集局幹部とパンチ・サルツバーガー社主(現社主アーサー・サルツバーガーの父親で2012年秋に死去)は、顧問弁護士の大反対を押し切って、特ダネの新聞掲載を決意する。弁護士は「逮捕の可能性もある」と強く警告したが、サルツバーガーは「読者には読む権利がある」と主張して動じなかったといわれる。読者に視線を据えた、知る権利の代弁者であるという自負が新聞魂だったのだろう。
だが、NSAリーク事件ではこのニューヨーク・タイムズが完全に蚊帳の外に置かれてしまった。同紙がブッシュ(息子)時代にNSAが裁判所の許可なしに市民の電話を盗聴しているという特ダネを1年間も棚上げにしたことをスノーデンは承知していて、不信感を抱いていた、と映画作家のポイトラスは語っている。内部告発者にとってメディアへの信頼は最も重要な条件であり、影響度の高い大メディアというだけでは機密情報の受け皿になれない。どこまで体を張って知る権利を守るかという姿勢が問われるわけで、その意味でニューヨーク・タイムズが「国益」を唱えるブッシュ政権に妥協したという事実は、ペンタゴン・ペーパーズ事件で鼓舞した権力に立ち向かうアグレッシブな姿勢とは雲泥の差だった。
おメガネにかなったのはフリージャーナリスト
米国を代表する大メディアだからといって信用できる時代ではなくなってしまった。そこでスノーデンは、知る権利に熱心で実績のあるジャーナリストに目を向けた。おメガネにかなったのはグリーンウォルドとポイトラスが推薦した元ワシントン・ポスト紙記者でフリージャーナリストのバート・ゲルマンだった。
グリーンウォルドは自身のブログや情報サイト「サロン」でコラムを執筆し、2012年8月にガーディアン紙(米国版)に移籍したばかりだったが、鼻っ柱の強さと権力への対決を鮮明にするジャーナリストとして知られていた。英国を地元にするガーディアン紙(電子版)が米国ではマイナーな存在だったことは、ネット世代のスノーデンにとってマイナス要因ではなかったようだ。
ワシントン・ポストは大スクープ掲載断る?
一方、ゲルマンはこの大スクープを元の職場ワシントン・ポストに持ち込んだが、編集長は掲載日時などの確約を拒んだようだ。グリーンウォルドを絶対的に信頼したガーディアンとフリージャーナリストに頼り石橋を叩いて渡るワシントン・ポストの対応は対照的だった。結果的にグリーンウォルドは、スノーデンがダウントードした大量の機密文書へのアクセスを許され、NSAがらみの特ダネを連発しているが、ワシントン・ポストはPRISMのスクープだけで終わった。スノーデンの信頼を勝ち得なかったことは明らかだ。米国メディアを代表するニューヨーク・タイムズとワシントン・ポストが特ダネ合戦から脱落し、その他の新聞やTVも1?2周遅れでガーディアンをフォローするのが精一杯という状況は、本流を自負する大メディアの後退を示唆するものであろう。
在米ジャーナリスト 石川 幸憲