松井秀喜の引退式が2013年7月29日、ニューヨークのヤンキースタジアムで行われた。日本では30日未明、衛星放送の中継で見ることができたのだが、不思議だったのはグラウンドでのセレモニーにイチローの姿がなかったこと。何かあったのか。
「自分の過ごしてきた時間の中で(ヤンキース時代が)もっとも幸せな時間だった。現役を引退したときはこのような(引退式)ことをしてもらえるとは思っていなかった。幸せなことです」
松井はこう語ったが、これはセレモニーが行われる前の記者会見でのことだった。通常は終了後に会見を開くものである。
セレモニーは車に乗ったスーツ姿の松井がセンターから現れ、自分の守備位置だった左翼を回ってホーム付近へ。スタンドに手を振り、ファンはスタンディングオベーションで応じた。
ホームベースのところに机と椅子が置かれていた。そこに座り、両親が見守る前で、ヤンキースとマイナー選手としての契約書にサイン。「ワンデー・プレーヤー」である。ただそれだけで選手としての活動は一切ない。
「ヤンキースは通常、こういうことはしない。マツイへの思い入れが強いのだろう」
地元記者はこう解説した。大リーグはどの球団も毎日のようにセレモニーを行うが、ほとんどが始球式だけだ。松井が特別だったことは事実である。
「元ヤンキース」から「前ヤンキース」にする意図?
この日から復帰した主将のデレク・ジーターが背番号55のユニホームが入った額を贈呈。その後、ヤンキースの選手たちと記念写真。ところがその中にイチローの姿がなかったのだ。黒田博樹は松井と握手したシーンがあったが、注目された松井-イチローの2ショットがなかった。
イチローは「僕はいいや」とグラウンドには出ず、ロッカールームのテレビでセレモニーを見ていたという。
「あの時間はいつもマシンをやったりしているので……。大勢のファンが集まったのは素晴らしいことだ。いろいろ、おめでとう」
これがイチローのコメント。自分の調整スケジュールは守ったわけである。セレモニー参加は個人の意思に任されているのだろう。日本では考えられないことで、まず騒ぎになる。
ただ今回の引退セレモニーには、ある意図が含まれているという。1日契約によって松井は「前ヤンキース選手」となる。昨年暮れに辞めたままだと「前レイズ選手」で、「元ヤンキース選手」となる。「前」と「元」の違い。松井紹介のときに影響するというのか。要するにブランドにこだわったともいえる。
イチローはそういうことに、ひょっとしたら抵抗があったのかもしれない。松井と会ったのは試合開始直前だったそうで、それも「やあ、久しぶり」と挨拶を交わしただけだという。グラウンドでの2ショットを期待した日本のマスコミは肩すかしを食ったといったところか。(敬称略 スポーツジャーナリスト・菅谷 齊)