20人の候補が乱立した東京選挙区(改選数5)では、最後の5議席目が特に激戦になった。僅差で涙を飲んだのが現職の鈴木寛氏(民主)だ。元通産官僚でIT政策通の鈴木氏は、楽天の三木谷浩史氏らIT業界からも後押しされ、民主党広報委員長としてネット選挙の解禁にも尽力した。しかし、皮肉にも初のネット解禁選挙で苦杯をなめることに。とくに鈴木氏を苦しめたのは、ネット発のネガディブ情報だった。
山本氏「引きずり下ろしてでも、僕が上がる」
ネット上をかけめぐった鈴木氏への主な批判は、(1)鈴木氏が文部科学副大臣として、子どもの被ばく許容量を年20ミリシーベルトに決め、無用な被ばくをさせた(2)文部科学省がSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)のデータを隠し鈴木氏がそれに関与した、というもの。
同じ東京選挙区から出馬し、急進的な反原発を主張する無党派に支えられていた山本太郎氏は、こうしたネット情報などを念頭に、街頭演説で鈴木氏を名指しして、
「その人を引きずり下ろしてでも、僕が上がる」
などと罵倒。攻撃を強めていた。
鈴木氏側も、支援者が詳細な反論資料を作成して公表したが、一度広がった情報を完全に打ち消すには至らなかったようだ。
鈴木氏の反転攻勢が裏目に出る一幕もあった。鈴木氏は7月14日夕方の街頭演説中に女性に殴られ、額打撲で全治1週間のけがを負った。これを受け鈴木氏は翌7月15日に声明を発表し
「こうした民主主義を脅かす行為に対しては断固として戦う必要がある」
と決意表明したが、この文面には
「今回の候補者の中には、街頭で、私を名指しで、根拠の全くない嘘と誹謗中傷するという、不誠実な演説をされているとも報告がありました。本当にどうやったら、そんな嘘のつくり話を皆の前で堂々と言えるのか。。。人として悲しいことだと思います」
という内容もあった。
名指しことしていないものの、山本氏を念頭に置いていることは明らかだ。
これが、一部では「暴力事件を利用して他陣営を批判した」などと批判を呼ぶことになった。
ネット上で選挙運動が可能だったのは7月20日まで。同日23時半頃、鈴木氏は
「ネット選挙を解禁しなければ、ここまで苦労しなかっただろう。しかし、解禁したからこそ、勝てたという選挙にしたい」
とツイートしたが、その願いはかなわなかった。
公示直前の公認取り消しでゴタゴタ印象づける
ネット以外でも、民主党に対する逆風が全く収まらないのに加えて、党内事情も足を引っ張った。
元々は民主党は、鈴木氏以外にも現職の大河原氏を公認していた。しかし、都議選で惨敗したため、「共倒れ」を恐れた執行部が、公示直前の7月2日になって大河原氏の公認を取り消した。大河原氏は納得する訳もなく、無所属での出馬を強行。菅直人元首相は「脱原発」を理由に大河原氏の支援に回り、細野豪志幹事長は
「もう退場してもらっていい」(7月8日、横浜市の街頭演説で)
と激怒。選挙期間中に党内対立を有権者に印象づけた。
鈴木氏は東大や慶大湘南藤沢キャンパス(SFC)で教壇に立った経験があり、応援する有名人も、三木谷氏のほか、大前研一、岡田武史、金子郁容、平田オリザ、三枝成彰、湯浅誠、高野孟、河村隆一、古田敦也などスポーツから文化芸術関係人まで、東京選挙区の候補の中ではずば抜けて幅が広かった。にもかかわらず有権者の民主党への抵抗感が強かったといえそうだ。