商工中金社長に元経産省事務次官 「小泉改革」に逆行、官僚OBが天下りポストを奪い返す

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   商工中金の関哲夫社長(74)が退任し、後任に元経済産業省事務次官の杉山秀二副社長(65)が昇格した。商工中金の歴代トップは、2008年に元新日本製鉄(現新日鉄住金)副社長の関氏が就くまで、旧通産省など現在の経産省にあたる役所のOBが独占してきた経緯があり、今回、5年ぶりに民間から奪い返した形だ。最近では他にも官僚OBが天下り先を確保した例も出ている。

「副社長として5年弱努力を重ねた」

   商工中金は6月21日の株主総会とその後の取締役会でトップ人事を決めた。終了後の同日午後、日銀記者クラブで会見した杉山新社長は天下り批判について問われると、「株式会社としての人事の手続きを経て決まった」とルールに従った点を強調したうえで、「5年弱副社長として努力した積み重ねの中での内部昇格と理解している。天下りとか何とかは私の意識にはない」と述べた。

   「副社長として努力した」のは事実だろうが、そもそも副社長に就任したこと自体が天下りのはず。しかし、そうしたことは「意識にない」ようだ。

   中小企業の資金繰りを支える商工中金のような「政府系金融機関」に対しては、「民業圧迫」「天下りの受け皿」などと批判が強まって、統廃合論議が盛り上がったのは小泉純一郎政権時代。小泉首相は財務省や経産省を「抵抗勢力」と名指しして改革に乗り出した。

   特に、国がコントロールしてきた資金の流れを「民間にできることは民間に」任せて経済を活性化させるため、「入り口」の郵政民営化に道筋をつける一方、資金の「出口」に当たる政府系金融機関にも大ナタを振るう必要があるというのが小泉首相の判断だったとされる。

あおぞら銀行会長にも旧大蔵省出身者

   その結果、国民生活金融公庫など8つの政府系金融機関のうち7つは2008年に「日本政策金融公庫」など5機関に再編された。沖縄振興開発金融公庫は2012年以降に日本政策金融公庫に統合するとされたが、先送りされている。残る公営企業金融公庫は「地方公営企業等金融機構」に衣替えして生き残った。

   商工中金は当初、「そのまま存続はするが2015年までに完全民営化する」と決められたが、リーマン・ショック後の信用不安のどさくさの中で、完全民営化の先送りが決まり、現在に至る。政府系金融機関改革の中で、軒並みトップが民間人となったが、商工中金は経産省が「指定席」を奪還した形。小泉氏からすれば「せっかくつけた改革の道筋を逆行させる路線が完成してしまった」ということだろうか。

   商工中金には、民間金融機関から「民業圧迫」という批判がある。黒田東彦総裁率いる日銀の異次元緩和により、民間金融機関の資金運用先を国債などの安全資産からリスクのある企業融資などにシフトすることが促されているなか、それを阻害する存在との指摘もある。

   最近では、他にもあおぞら銀行会長に旧大蔵省出身の福田誠氏(全国地方銀行協会副会長)が就くことが決まるなど、これまで減る一方だった官僚OBの天下り先が確保される例も出始めた。いずれも「人物本位で選んだ」という触れ込みだが、額面通りに受け取る人が多くない。

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