「苦しいこともあるだろさ 悲しいこともあるだろさ だけどぼくらはくじけない 泣くのはいやだ 笑っちゃおう」
岩手県大槌町(おおつちちょう)では正午になると、「ひょっこりひょうたん島」の主題歌が流れる。東日本大震災で大きな被害を受けた町民はこの歌詞と同じような気持ちで、いつまで続くかわからない復興への道のりを歩んでいる。
大槌町は、太平洋に面した陸中海岸国立公園の、ほぼ中央に位置している。東に大槌湾と船越湾を臨み、西に北上山系が迫るというリアス式海岸特有の地形だ。大槌湾には、NHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」のモデルとされる蓬莱(ほうらい)島が浮かんでいる。
北上山系を源流とする大槌川、小鎚川が大槌湾に注ぎ込んで河口に扇状地をつくり、この平地に中心市街地が広がった。町の総面積の2%にあたる地域に、人口の8割が暮らしていた。高度経済成長時、町は大槌湾を埋め立てて、新たな町並みを造成、津波に脆弱な町づくりが進められてもいた。
2011年3月11日の東日本大震災津波は、人口が集中していた市街地を襲った。国土地理院の調べによると、大槌町内の浸水高は、最高位で22.2メートル。死者、行方不明者は、合わせて人口の1割近い1200人を超え、約6割の家屋が被災した。人口に占める犠牲者の率は、宮城県女川町、岩手県陸前高田市とほぼ並び、被災市町村の中でも飛びぬけて高かった。
海岸から約300メートルの町役場も津波にのみこまれた。当時の加藤宏暉(こうき)町長以下、全職員の約3分の1にあたる40人の職員(町長、正職員33人、臨時職員6人)が犠牲になったことが、大槌町の被害のひどさを印象付けた。
町長不在は、その年の夏の町長選まで続いた。大津波による被害と町役場機能の低下。町の苦境は、震災から2年を経た今も続いている。
町は、「多重防災型のまちづくり」を進めている。防潮堤の高さを、これまでの6.4メートルから14.5メートルにし、海岸近くは公園にする。盛土で土地をかさ上げしたところや、高台に、公共的な施設や商業施設、住宅を建てる。しかし、平地が少なく、その少ない平地には仮設住宅団地が建設され、被災者が住んでいる。まちづくりが円滑には進まない恐れがある。
町内48か所の仮設住宅団地は、大槌川、小鎚川沿いにあり、約3分の1の町民が暮らしている。4畳半一間で暮らす、一人暮らしのお年寄りが少なくない。「復興が遅れれば、仮設で死んじゃうよ」。こんな冗談めいた会話が、冗談でなく聞こえてしまう。
◇
2013年3月末で、43年間の朝日新聞記者生活を終え、4月から大槌町役場の職員になった。震災直後から被災地取材で入っていた大槌町から、復興支援を手伝ってほしいと求められた。復興を報道する立場から、復興の一部を担う立場へ。迷わずにお引き受けした。津波で壊滅した町は、復興で、新たな変容を遂げようとしている。過疎、高齢化に拍車がかかるかもしれない。被災地の縮図、日本の縮図と言えなくもない。町の了解を得て、復興を中心に、大槌町の動きを定期的にレポートしていきたい。(大槌町総合政策課・但木汎)
連載【岩手・大槌町から】
(1) >> (2)