日本維新の会がプロレスラーのアントニオ猪木氏を参院比例区から擁立することが正式に発表された。人気という点では、2013年夏の参院選に橋下徹共同代表(大阪市長)、石原慎太郎共同代表との「三枚看板」で臨むともいえる。
だが、6月5日に猪木氏擁立が発表されてからの3日間の「三枚看板」の動きは、かなりすれ違いが目立ち、橋下氏と石原氏との溝の深さはさらに広がったようだ。
猪木出馬会見に橋下氏は出席せず
6月5日の会見では、猪木氏は、
「『一寸先は闇』という言葉じゃなくて、一寸先はハプニング!」
「維新・伝心・ジェットシン!」
と、宿敵だったインドのプロレスラーのタイガー・ジェット・シンをからめておどけて見せた。この会見には石原氏は同席したものの、橋下氏は同席せず。スリーショットは実現しなかった。
このスリーショットは翌6月6日に渋谷駅前で行われた街頭演説会で、「かろうじて」実現した。最初に演説を始めたのは石原氏で、橋下氏が登場したのはその30分後。それから橋下氏は約10分間にわたって演説し、演説後に猪木氏がテーマ音楽とともに登壇した。だが、その直後に橋下氏は公務を理由に降壇。3人が同時に壇上にいたのは約1分で、橋下氏は猪木氏とはもちろん、石原氏とも、まともに言葉を交わさないままだった。
橋下氏降壇後に、石原氏と猪木氏は恒例の
「1!、2!、3!、だーっ!」
のパフォーマンスを披露していた。
石原演説ではオスプレイは一言も口にせず
政策面でも、3者の隔たりは明確だ。同日午前には、橋下氏と松井一郎幹事長(大阪府知事)が首相官邸を訪ねて安倍晋三首相、菅義偉官房長官と会談。垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの一部訓練を八尾空港(大阪府八尾市)で引き受けることを提案した。
渋谷での街頭演説でも、オスプレイに関する聴衆の関心は高いはずだった。橋下氏は、
「(沖縄県の負担軽減については)みんな総論賛成。各論になったらみんな反対ですよ。戦後67年間において、初めて日本の自治体で米軍の訓練を引き受けるという表明をしたのが大阪です」
と理解を求めたものの、石原氏はいわゆる従軍慰安婦問題をめぐる河野談話批判など従来の持論を繰り返すことに終始し、オスプレイについては一言も言及せず。足並みは揃わなかった。
それ以前に猪木氏は、
「難しい話は、もう代表がされてますんでね。それ以上私が言うこともないと思うんですが…」
と政策の話を避けた。
石原氏の「公明嫌い」に「あのー、大阪市議会は維新の会が過半数なくてですね…」
同日夕方に開かれた、維新としては初めての政治資金パーティーでは、さらに石原氏と橋下氏の立ち位置の違いが先鋭化した。2人は壇上で座談会を行ったのだが、石原氏は憲法について
「どんな法律の学者に聞いても、『この憲法は無効だ』ということを国家の最高のリーダーが明言して、これを阻む法的論拠はどこにもない。その勇気がないね。吉田(茂)さんにもなかった。安倍君にもなさそうだね。残念ながら公明党がくっついてる限り、私はね、今の政権ではできないと思いますよ?公明党は何考えてるか、さっぱり分からない」
と、持論の「公明党嫌い」をぶちまけた。これに対して橋下氏が苦笑いしながら、
「ここはちょっと、いろいろ複雑な事情があるんです。あのー、大阪市議会は維新の会が過半数なくてですね、維新の会と公明党の協力で運営しているというころもご理解いただきたいところがあるんです!」
と理解を求めようとするが、石原氏も笑いながら
「それはね、なかなか本当に理解できない。許しがたい。あなたも色々立場があって大変でしょうが、いまの心境はどうですか?」
と一歩もひかない。橋下氏も、
「国政と地方では、また別のところがありますし…」
と、半ば答えに詰まってしまった。
闘魂ビンタは「政治の場なので、しません」
猪木氏は橋下氏の降壇後に会場に現れ、ここでは「スリーショット」は実現しなかった。
猪木氏と言えば、一番有名なのが「闘魂ビンタ」。これを活用すれば注目度が上がりそうだが、橋下氏はパーティー後の囲み取材で、
「政治の場なので、しません」
と断言。露骨に距離を置いていた。
橋下氏は演説の場では
「僕の発言で維新の信頼が揺らいでいる」
と、多少「反省モード」だ。