「寺越事件」実行犯には殺人と死体遺棄の容疑
1963年5月、石川県の寺越武志さん(当時13)が叔父の昭二さん(同36)、外雄さん(同24)と出漁中に行方不明になり、外雄さんと武志さんは87年になって北朝鮮で生存していることが確認された(外雄さんは94年に北朝鮮で死去)。武志さんは「北朝鮮の漁船に救助された」と主張しており、武志さんに会うために50回以上訪朝を繰り返している母親の友枝さん(82)は、武志さんの北朝鮮での立場を考えて拉致問題への言及をやめている。
ただ、昭二さんの長男は友枝さんと異なる方針で、03年11月には北朝鮮の金正日政治軍事大学教官だった呉求鎬(オ・グホ)元工作員を殺人と死体遺棄の容疑で石川県警に告訴。県警も受理している。この告訴は、北朝鮮元工作員で、韓国に亡命中の安明進(アン・ミョンジン)氏が、脱北前に呉氏から
「工作船で侵入しようとした際、近くで出漁中の漁船に遭遇したため、乗っていた3人を拉致し、抵抗した昭二さんを撃ち殺して海に沈めた」
などと、拉致の実行に直接関与したとする話を聞いたことが根拠になっている。安氏は05年7月28日の衆院拉致問題特別委員会でも、
「呉求鎬は、自分の口で、1960年代、日本の能登半島に侵入し、仕方なく彼らを拉致して、そのうち一人が自分たちの強盗のような要求に応じなかったとして、その場でおじさんの一人を射殺したという内容まで自慢げに話していたことが記憶に生々しいです」
と同様の証言をしている。