広島には韓国人の犠牲者の慰霊碑がある
原爆に関する記述は、コラム内でほかにも出てくる。少なくとも3000人の「丸太」が実験に動員されたと主張し、「丸太の悲鳴が天に届いたのか。45年8月に原子爆弾の爆風が広島と長崎を襲った」と続けた。原爆は731部隊の行為の報いだった、とも読める表現だ。
さらに、戦後ドイツでは指導者がユダヤ人に「機会があるたびに謝罪し許しを請うた」が、対照的に「日本は違う。ある指導者は侵略の歴史を否定し妄言でアジアの傷をうずかせる。新世代の政治の主役という人が慰安婦は必要なものだと堂々と話す」と厳しく指摘している。
コラムには、原爆の犠牲者に対する哀悼の表現は見られない。神が下した罰であり、「丸太」による復讐というトーンは最後まで貫かれている。
なお広島には、在日韓国青年商工人連合会及び有志一同による韓国人犠牲者の慰霊碑が建立されており、そこには「第2次世界大戦の終わり頃広島には約10万人の韓国人が軍人・軍属、徴用工、動員学徒、一般市民として在住していた。原爆投下により2万余名の韓国人が一瞬にしてその尊い人命を奪われた。広島市民20万犠牲者の1割に及ぶ韓国人死没者は決して黙過できる数字ではない」と建立理由が記されている。