朝日新聞に昭和40年から平成3年まで連載され、大人気だった「フジ三太郎」が電子書籍になりました。漫画作品だけでなく、作者のサトウサンペイさんのロングインタビューも掲載されています。愉快なエピソードや人生談義も満載です。こんな面白い人だからあんな作品が描けたんだ、と思わずナットクしてしまいます。インタビュアーは週刊朝日でサンペイさんの連載「夕日くん」を長年担当した編集者、池ちゃんこと池辺史生さんです。
全27巻のすべてにインタビューが掲載されています。その中から「サンペイさん、美女に会う」をテーマに2回に分けて紹介します。今回は第22巻「雪の朝、マリリン・モンローと握手した」からの抜粋です。平凡な日本のサラリーマンが世界のセックスシンボル、マリリン・モンローに会って握手する。ありえないと思われるでしょう。でもサンペイさんは、今から約60年前、まだ24歳のサラリーマン時代にやっちゃいました。どうしてそんなことができたのでしょうか? サンペイさんのサラリーマン時代からの「非凡さ」に脱帽です。
モンローを撮影せよ!
サンペイ 昭和29年にマリリン・モンローが夫のジョー・ディマジオと来日しただろう。モンローが映画「ナイアガラ」でハリウッドのトップスターに躍り出た翌年のことだった。
そのとき、ぼくが勤めていた大丸百貨店宣伝課長の長谷川六郎さんが、何か歓迎をと考えた。伊丹空港でミス大丸がモンローに花束を贈呈するところを写真に撮り、うまくゆけば心斎橋にお買い物にきていただく。そんな段取りをされた。だけど、急な話だったので、カメラマンの手配がつかない。そうしたら、「おまえなら撮れる」ということで、ぼくが指名されたんだ。なぜって? ぼくが少年時代からカメラ好きでローライフレックスや、宣伝部のコダックスを使いまくっていたのを、課長に知られていたから。
「はい、はい、はい。モンロー! モンロー! お任せください!」と、もうカメラとフラッシュを持ってはしゃいだ。そうしたら、課長が「朝、早いんだ。飛行機の着く1時間前には来てくれよ。それだけは頼むよ。くれぐれも」と言った。当時のおれは遅刻大王だったから、その夜は早起きのおばあちゃんがいる友だちの家に泊まりこんだ。目覚ましもかけたのに、なんと朝5時半に自ら起きたのには、我ながら感心したよ。珍しいことをしたせいか、外は大雪が降っていた。
池ちゃん ははは。それで、モンローに会ったんですか?
サンペイ 会ったよ。本当にあのときのモンローは色っぽかった。若い人にはわからないかもしれないけど、モンローは可愛く、そして誰よりもなまめかしかった。
伊丹空港に着くと、もうファンでいっぱいだった。滑走路の少し手前には飛行機の到着を待つ新聞社のカメラマンたちが脚立を立ててズラーッと1列に並んでいたけど、おれは「新聞社の取材協定」とはなんの関係もない。
やがて大雪のなかをモンローが乗った小型飛行機が舞い降りた。停止してプロペラが止まると、おれはカメラをコートで隠しながら、何か用があるかのように尾翼のほうに歩いていき、その後部車輪の陰で待機した。飛行機にタラップが取り付けられると、空港職員と一緒に、その下に出迎えていた長谷川課長が上がってゆき、ドアが開くと、ディマジオと握手をし、何か話して傘を渡した。ディマジオが課長から渡された傘を、モンローにさしかけてタラップを下りてきた。タラップの下では、たすきをかけたミス大丸が待ち受けており、花束を贈呈。
池ちゃん、ここからすごいよ。モンローがタラップを下りて来る少し前、ぼくは機体の下をくぐりぬけ、2人が地上に降り立った瞬間、もっともいい角度からその光景をバシャバシャ撮った。ぼくがカメラを持ってフラッシュをたいている間は、後ろのカメラマンたちはモンロー夫妻を撮ることができない。「こらー」「どこの社や!」「どけー」「こら、誰や、おまえ」と非難ごうごうだった。
池ちゃん そりゃあ、怒るよ。撮影できたのは奇跡と言える。