日英同時通訳者の村松増美氏が2013年3月3日に亡くなっていたことが、5月8日までにわかった。82歳だった。
村松氏は東京生まれで、在日米軍のタイピストから通訳者となった。1956年に日本初の同時通訳者の一員として渡米し、65年に帰国後は会議通訳者集団のサイマル・インターナショナル創設に参加した。
日本における会議通訳者のパイオニアの1人で、主要国首脳会議(サミット)では75年の第1回ランブイエ・サミットから83年の第9回ウィリアムズバーグ・サミットまで毎回通訳チームの一員として参加するなど、国内外で重要な通訳を数多く担当した。
2000年にサイマル・インターナショナル顧問を退任後、アジア初の「国際ユーモア学会」に参加し、日本笑い学会理事に就任。01年にはNPO法人「えむ・えむ国際交流協会」(07年解散)を設立し精力的に活動していたが、04年に脳梗塞で倒れ、闘病生活を続けていた。
日本笑い学会は最近号の機関紙で、村松氏の死を報じている。