震災で崩れた家族のバランス 子どもたちの心のケアが課題【岩手・陸前高田発】

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   陸前高田の普門寺に身元不明のお骨が預けられていました。そのお骨がのったテーブルは重かったので畳に跡がつきました。和尚様は「その跡のついた畳を大事に残します。それは津波で亡くなった方々の命の重さだからです。」とおっしゃられました。

(2013年3月31日、増川寿一氏撮影)
(2013年3月31日、増川寿一氏撮影)

   陸前高田のすべての遺体が荼毘にふされるまで、津波で水に浸からなかった小中学校の体育館は避難所か遺体置き場になっていました。8月の末まで遺体が置かれていました。9月の新学期が始まる前に体育館の遺体はすべて荼毘にふされ、身元不明のお骨は普門寺に納められました。空になった体育館は業者が洗浄したそうです。木造の建物や布の緞帳はそれでもまだお線香の匂いなどが染み付いていたそうです。体育館での始業式の時、子ども達(小学校1年生も含め)誰一人として、体育館を臭いとは言わなかったと聞きました。

   陸前高田の子ども達は何が起こっていたのか、ちゃんと感じて考えていたのだと思いました。そんな子ども達が一生懸命生きているのを見ると、私は愛おしくて涙が出そうになります。陸前高田の子ども達は、きっとこの困難を乗り越えて素晴らしい大人になると信じています。

   子どもたちは津波の後ずっとがんばっています。津波で家族が亡くなり、家族の構成が一夜にして変化しました。これを心理学では家族のシステムの崩壊・変化といいます。家族は「家族メンバー」で全体の「家族」としての均衡を保っています。おもちゃのモビールを思い浮かべてください。風が吹いたり、誰かがモビールを触るとバランスを保つために揺れます。もし、そのモビールの一つの部分が無くなったら、バランスを崩して片方に傾きます。家族もモビールと似ています。病気などで家族の誰かが死に向かっている時には、残される家族はその亡くなるであろう家族がいなくなっても、「家族」のバランスが崩れることのないように準備をします。しかし、不慮の事故や、このほどのような震災で突然家族を亡くした場合、急に傾いた家族のバランスを戻すことは、残された家族にとって大変な作業になります。

   津波で亡くなった母の代わりに中学生のA子さんはがんばりました。残された幼い姉妹兄弟の母親代わりを懸命に務めていました。自分も泣きたいのを我慢して、夜布団のなかで泣く姉妹兄弟のために添い寝をしました。父親の仕事が忙しいので食事の支度や洗濯をしました。日曜も遊びに行くこともなく家事をしました。半年はがんばれました。でも、その後疲れきって学校に行けなくなりました。年相応以上の責任を背負ったA子さんは心も体も疲れきってしまいました。このような子どもが沢山います。そして、体や心の変調を訴えながら生きています。「家族がなくなって生きる望みがなくなった。」「何で生きているのか解らない。」と訴えます。

   子どもの心に残された亡くなった家族の命の重さの跡はいつ消えるのでしょうか。その傷跡が、だんだん癒されて将来の希望が持てるように支えてあげなければいけません。がんばっている陸前高田の子どもの心のケアも真剣な課題です。

(佐藤 文子)



佐藤 文子
臨床心理学博士・メンタルヘルスカウンセラー・アートセラピスト。多摩美術大学大学院卒業後、米国で臨床心理学博士・心理学修士・アートセラピー修士を取得。アメリカで臨床経験を積み、2010年の帰国後から福島県立医科大学 丹羽真一教授(現 同大学会津医療センター準備室特任教授)のスーパービジョンを受けている。元シアトル医療評議員。2012年より、陸前高田市緊急支援カウンセラーとして、カウンセリング・心理教育・子育て支援・教育講演などを行う。陸前高田市の鵜浦医院でもコンサルテーションを実施している。

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