6世紀後半に中国を統一した隋の2代皇帝、煬帝のものとみられる墓が見つかったと、中国の複数のメディアやNHKが2013年4月16日までに報じた。
場所は中国江蘇省揚州の郊外で、工事中に偶然見つかったのだという。煬帝を示す墓誌や、高貴な人物向けの副葬品が収められていたようだ。
煬帝が国を治めていた607年、聖徳太子が小野妹子を第2回遣隋使として派遣、倭王からの国書を渡している。そこには「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」と書かれており、煬帝が激怒したと言われる。中国国内に大運河を築いたことでも知られている。