政府は4月12日(2013年)の閣議で、厚生年金基金の制度を見直すため厚生年金保険法などの改正案を決定した。厚生年金基金は、サラリーマンが加入する国の厚生年金に独自の給付を上乗せする企業年金の一つで、562基金に400万人が加入している。制度疲労が指摘される中、今回の改正案は、大半の基金に解散などを促す内容となっている。
昨2012年のAIJ事件で様々な問題点が発覚したが、筆者は、この厚生年金基金に特別な思いがある。かつて大蔵省(現財務省)で厚生年金基金制度を調べていたら、とんでもない欠陥を見つけてしまった。厚生年金基金というのは、厚生年金とは違う。かといって純粋な私的企業年金でもない。公的な厚生年金の一部と純粋な私的企業年金を合体した制度だ。しかし、公的年金と私的年金を合体して運用するのは、運営自由度を欠き年金数理上無理があるという制度的欠陥があったのだ。
「ヌエ的で世界に類を見ない」日本独特の制度
そうした専門的な話は、誰も気がつかないだろうから、日野和一というペンネームで「厚生年金基金は年金制度を冒すガンである」と言う論考を金融業界誌である週刊金融財政事情1994年11月21日号に投稿した。こうしたヌエ的な年金制度は世界に類を見ない日本独特のものだともいい、制度破たんが起こると予言した。
厚生省(現厚労省)はすぐに反応した。年金数理をベースにした批判だったので、すぐに筆者が書いたことがばれて、その対抗上、年金数理の権威者に反論を書かせた。しかし、権威者らしからぬ稚拙な反論(おそらく厚生省官僚が書いて、権威者は名前を貸しただけ!)だったので、筆者はそれへの再反論も書いた。そしたら今度は厚生省から強い抗議が大蔵省人事担当者にあった。その次は監督下の厚生年金基金に掲載雑誌の購読を中止させるという動きもあった。言論で対抗できないと露骨な手段を使うのが官僚である。
その後、笠井隆というペンネームで「欠陥だらけの厚生年金基金は解体せよ」を日経ビジネス1995年7月24日号にも投稿した。
いずれの場合も厚生省は猛烈に反発した。なぜそこまで反発するのかといえば、天下りがあるからだ。旧厚生省、社会保険庁、都道府県の社会保険担当部局の元職員らが厚生年金基金に天下っていた。
日本の悪いところの縮図
もっとも、筆者の20年前の予言はすぐに当たり、厚生年金基金は次々にたちいかなくなった。ところが、天下りがいた厚生年金基金は解散などの抜本策を打たないままに現在に至っている。
国の政策で、天下りが絡むと容易に方向転換できないのがわかる。天下り確保が優先し、国民は二の次なのだ。中には、政策は単なる口実で、天下り確保が本音ではないかとさえ思えるモノもある。
20年前に筆者が厚生年金基金の欠陥に気がついたとき、大蔵省の人にも相談したが、あえて指摘することもないと言われた。天下りが絡むと、どんな官僚でも我が身大切になって後ろ向きになるものだ。
官僚が厚生年金基金に天下っても、自分は公務員共済年金なので、厚生年金基金がどうなっても構わないといったら言い過ぎだろうか。20年前に対処していれば、このような大問題にならなかっただろう。
天下りに関わる問題は他にもまだある。その意味で、厚生年金基金の問題は、日本の悪いところの縮図である。